El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

感染症は実在しない

病気を哲学する

感染症は実在しない (インターナショナル新書)

感染症は実在しない (インターナショナル新書)

 

ご存じ感染症医・岩田健太郎先生のセンセーショナルなタイトルの本「感染症は実在しない」を読んでみました。この本2009年に「感染症は実在しない 構造構成的感染症学」として出版されたものを改版してCOVID-19にあわせて出版しなおしたもの。柳の下のドジョウ・・・かもしれませんが、読んでみると医療における「原因」と「結果」の関係をじっくり考えさせてくれます。さらに一歩進めて、「病気はすべてあいまいなもの」ということをも看破して、COVID-19の現状にも一石を投じています。   

例えば、結核結核菌が発見されるまでは若い人が消耗していくちょっとロマンチックな面もある病気でした。ところが結核菌が発見されると、それまでの症状=「結果としての結核」から原因=「結核菌の存在としての結核」への価値転換が起こったのです。我々はすべて近代になって起こったこの価値変換以後の世界を生きているのです。

そして科学の進歩とともに感染という事実を検出するテクノロジーが鋭敏になっていきます。そうなると検出された感染のうちどこからを感染症という病気と呼ぶのかはかなり恣意的なことになってしまいます。例えばPCR法が発明されていなかったらCOVID-19のパンデミックはその形をずいぶん変えていたでしょう。こう考えてくると、しょせん病気は実在せず、すべてはその時々の医療のレベルに依存する医療者(あるいは世間も一緒になっての)の恣意的なネーミングにすぎないことがわかるのです。

現代ではさらに一歩進んで高血圧や高コレステロール血症などの症状がない現象でも病気と名付けようというコンセンサス=約束事がなされるようになっています。例えば、高血圧を治療せずに放っておいた場合、治療した場合に比べて脳卒中になるリスクは高まります。けれども、実は治療しなくても90%の人は脳卒中になりません。確かに、高血圧は治療したほうがより脳卒中はふせげるのですが、治療の効果は感染症に比べれば微々たるもので、それこそ膨大な数のRCT(ランダム化比較試験)で初めて差がでる程度。

かっては実在しなかった生活習慣病が作り出され、学会が作った診断基準やガイドラインがあたかも実在する病気があるかのように医療化し投薬がはじまるというのが現代社会です。ここまで考えてくると、現在行われている多くの治療に対して、それを受けないという選択肢を「あり得ない」と決めつけることはできません。「他人に迷惑をかけない」という範囲内で自分の価値観と照らし合わせて、その医療は自分にとって合目的的かという考察が個人に求められているのです。「そこに病気があるから治療」とか、「それが総死亡率を減らす、だから治療」などと決めつけてはいけない。

治療する・しないという医療判断は明快そのものです。しかし、そこに到る根拠は曖昧模糊としています。明快なアクションの根底はあいまいな根拠なのです。だから医療者は医学が持つあいまいさを自覚しつつ、謙虚な態度を保ちつつ、けれど明快に決断をしなければいけないのです。この本、いつもの岩田節で、あれも言いたい書きたいでとっちらかった印象ですが「病気は実在しない」からこそ、患者にとってもまた曖昧さのコントロールがかなり重要だと再確認できた一冊でした。患者にとってもむずかしい時代です。