El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(80)―記憶研究の最前線―

―記憶研究の最前線―

つむじまがりの神経科学講義

つむじまがりの神経科学講義

 

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴23年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「記憶のメカニズム」。言い換えれば、「記憶するとき脳の中では何が起こっているのか」という研究の最前線、それをエンタメ風味で教えてくれる一冊です。

 表紙に神経科学のエンタメ化に成功!!とあるように、しばしば挟み込まれる小ネタやコラムがとにかく面白い。そしてニューロンを中心とした神経解剖学と神経生理学の基礎を面白く学べます。これだけでも充分読む価値あります。しかし、著者が研究人生のほとんどを費やしてきた記憶のメカニズムは・・かなり難しくてして一般人がすらすら理解するのは大変そう・・・そこをがんばって読み解いてみました。

 脳はどうやって記憶できるのか・・・脳は簡単に言ってしまえば膨大な数の神経細胞ニューロン)のネットワーク(この本のカバーのイラスト参照)でできているわけですが、ニューロンニューロンの間の情報の伝達はシナブスというニューロン同士がごくごく狭いギャップを残して近接している部分でおこります。ひっついていそうでギリギリひっついていないギャップ、それがシナプスです。

 シナプスというギャップがあるために、ニューロンニューロンの間は電気回路のように信号がスーッと流れることはできません。ではどうなっているのか。信号の送り手側のニューロンからギャップの空間に伝達物質(グルタミン酸)が放出され、受け手側のニューロンにある受容体が伝達物質をキャッチすることでスイッチ・オンとなって信号が伝わるのです。そんなすごく面倒くさいことが脳の中の膨大な数のシナプスで起きているんです。そしてこの面倒くささこそが記憶のメカニズムの本質なんです。

 例えば「犬のぬいぐるみ」を見せられて「イヌ」という言葉を聞かされる、そのとき脳の中では視覚のニューロンが犬の形を認識して信号を発生し、同時に聴覚のニューロンは「イヌ」という音に対応した信号を発生します。そういう同時発火を何度か繰り返していると、形と音をつなげるシナプスグルタミン酸受容体が増えていきます。受容体が増えることで、犬をみたら「イヌ」という音を感じ、「イヌ」という音を聞けば犬の形を思い出すということで、受容体が増える=記憶するとも言えるわけです。

 つまり刺激を受ければ受けるほど刺激を受け取りやすくなるような受容体の生化学的なメカニズム(LTP=Long Term Potentiation)が存在しそれが記憶の源泉になっているのです。さらにLTPを繰り返しているとその部分のシナプスの密度も増加していくことがわかってきました(RISE=Repetitive LTP-Induced Synaptic Enhancement)。

 脳内のニューロンの回路そのものは生後早い段階でできあがるといわれていますが、その後の学習でLTPやRISEによって記憶を作りさらに記憶の容量も増やしていく、そんなイメージでしょうか。勉強し続けて脳を鍛えるとはそういうことですね。

 このシナプスに存在するグルタミン酸受容体はいくつかのパーツにわかれており、その一つをNMDA型グルタミン酸受容体と呼びます。以前に「七年越しの花嫁」で紹介した抗NMDM受容体脳炎というのはまさにこのシナプスの受容体が自己免疫に攻撃される脳炎なのです。

 記憶の生化学的メカニズムがここまで解明されていることに驚きました。まあ、まだほんの入り口が見えたというところなのでしょうが、自分の脳の中にある超絶的な複雑さの神秘をあらためて感じます。記憶の研究がこんなふうに進められているのだということを知るだけでも新しい世界が広がりました。

 小倉先生は東京生まれで阪大に来たのは1993年ですから私と同じ「なんちゃって関西人」ですが、いたるところにちりばめられた金魚すくい必勝法や猿の惑星などの小ネタも面白く、確かに関西的エンタメ化には成功しています。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2020年10月)

 
<関連サイト>

脳科学辞典「グルタミン酸」 ←すごく勉強になります、お薦めです。