El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私の本棚 (11)「士業の浮沈」医師の働き方を占う3冊

 

還暦すぎのドクターに薦めたい医業の今、そして未来を考えるための3冊

 本連載は、還暦すぎの元外科医ホンタナが良質な「一般人向けの医学関連書籍」を読むことで、医学・医療の今にキャッチ・アップしていきたい、そしてそれを同世代の医師と共有したい!という思いから始めたブックレビューです。これまでに月1回ペースで「神経免疫学」から「エイズ」まで10回にわたって様々なテーマを取り上げました。

日本の医業に関して、つい去年までは医師数の不足と過重労働というコンセンサスがあって、その中で医師の働き方改革と言っていました…。ところが、COVID-19での病床不足による医療崩壊が叫ばれたのも束の間、受療行動の抑制による医療機関の経済的苦境が取りあげられることが増えてきました。「これまでの医療こそが、そもそも不要不急の過剰な医療だった」とか「コンビニ受診が減った現状が、本来の医療の姿ではないか」などという声も聞かれます。職業としての医師はこれからどうなっていくのでしょう。混沌とした時代を迎えそうでもあります。そこで今回は、医業の将来を考えるための3冊を選んでみました。

医師に弁護士、資格商売の浮き沈み―急増した弁護士の顛末

 士業・師業といえば、たとえば、弁護士会歯科医師会が平成年間を振り返ったとすると、その社会的地位の激変を嘆かずにはいられないのではないでしょうか。今回の1冊目は、「医師の不足と過剰 医療格差を医師の数から考える」です。この本は「医師」をタイトルに掲げてはいるものの、今世紀になってからのいわゆる国家ライセンスに基づく職業、具体的には弁護士・公認会計士歯科医師・薬剤師・柔道整復師について、それらの職業に関わる社会の需要変化・国の制度変更・判例などが及ぼした影響をリアルに理解できる貴重な記録です。

医師についてはCOVID-19以前に書かれたということもあり、本書中にはドラスティックな制度変更が書かれているわけではありませんが、これら他職種の浮沈の歴史を知ることは、医師の将来を考える上でも欠かせません。これら職種のライセンスを得るためには、大学や大学院といった養成施設などを卒業することが必要です。新規ライセンス獲得者数は、養成施設の入口(つまり入学者)と出口(つまり資格試験合格者)のバランスでコントロールされます。医・歯・薬については、長い専門的養成期間を終えて出口で簡単にはじかれるというのは考えにくいので、これらの資格はこれまで入口(つまり入学定員数)でコントロールされてきました(資格試験方式)。いわば狭き門にすることで質・量をコントロールしてきたわけです。

 逆に弁護士・公認会計士の場合は、資格試験の受験資格がゆるやかなので、出口を難関としてコントロールしてきました(選抜試験方式)。どちらの方式にせよ、このコントロールがゆるむと資格取得者が激増します。弁護士を例に取ると、外圧もあって2001年の司法制度改革で弁護士資格保有者を増やそうということになり、司法試験の合格者を年間3,000人(倍増以上)にすることとなりました。これにより参入障壁の少ない法科大学院が激増し、弁護士数が増え始めました。しかし弁護士が急に2倍出現しても、その受け皿が急に2倍になるわけもありません。「食べていけない弁護士」という問題がすぐに発生しました。ところがアクセルを踏むのは簡単でもブレーキは難しい。急に合格者数を絞ったため、今度は大学院を出ても合格できないということになります。司法試験は受験回数制限があります。大学院そのものが淘汰されピーク時の半分くらいに減少していますが、それでも大学院は出たけれど試験に合格できないまま回数制限にもひっかかった人は1万5,000人もいるらしいです。

国家資格と新自由主義の相性―他職種の歴史に学ぶ

今、激増しているのは柔道整復師らしいですね。資格としては柔道とは無関係というのも驚きました。1998年に厚生省(当時)が福岡の柔道整復師養成所に新設不許可決定を出して裁判になり、福岡地裁が「国が自由な競争に制限を加えるべきではない」という微妙な判決を下しました。その判決の後、養成施設は雨後のたけのこ状態、10年ほどで14施設から97施設に激増。この先、施術所はコンビニ並みに増えるようです。歯科医・薬剤師も定員割れする大学が出るなど、過剰感があるのはご存知のとおり。貧困歯科医という言葉も聞かれます。公認会計士は数年で旧制度に逆戻り。柔道整復師はどうなるのか。

 これらの事象の多くは、小泉政権くらいからの「規制緩和」、いわゆる新自由主義的なマインドがその根底にあったと考えられますが、国家資格により質と量をコントロールしている職業に新自由主義を持ち込んだゆえの矛盾でしょう。それを踏まえて、医師数はどうすべきというテーマが本書の後半ということになります。その後半も読み応えがありますが、COVID-19で前提条件が大きく変わってしまいました。先が見通せない今は、前半に書かれた他職種の歴史から学ぶべきことのほうが多そうです。

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

  • 作者:桐野 高明
  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: 単行本
 

2004年は医師マインドの転換点―若い医師の生態を知る麻酔医の名言とは

 2冊目、「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」では、若い世代の医師のマインドを理解できるかもしれません。

 還暦を過ぎて「最近の若い先生は…」なんて言うと年寄りのグチっぽく聞こえるかもしれませんが、医師の世界ではグチとばかりともいえません。なぜなら医師免許を取得したのが2004年以前か以後かで、医師のマインドに大きな違いがあるのです。というのは、2004年から「新医師臨床研修制度」が始まったからです。この新制度で研修医はそれまでの「下働きの何でも屋」から「お客さま」に変わっていたのです。本書はその転換点を、一刀両断にくっきりと描いてくれました。この研修制度のガイドラインによれば、

 「研修医に雑用をさせてはいけない」
 「本人の同意のない時間外労働は禁止」
 「研修医がミスしても叱らず…」
 「研修医が体調不良やうつ状態を訴える場合は、指導医は仕事を減らしたり、休業させたりするべき(2年間で最大90日まで可)」

 …といったことが定められています。これによって、わたしの研修医時代がそうであった、まるで自分の限界を試されるような修行の日々は「パワハラ」「ガイドライン違反」として過去の遺物となり、初期研修時代は天国になったのです。そして今、この天国のような研修医期間を終えた先生たちは、それ以前の医師とはちがうメンタリティーを持つ医師として、後期研修という実践の場に入っていきます。ところが、2年間の初期研修の間に「お客さま」ながらも、医療の現場のリアルを知り、それまでもっていた医師としての夢や理想は大きく崩れてしまいます。夜中の呼び出し、患者さんからの理不尽なクレーム、訴訟対策の書類の山。これらに疲弊した先輩医師の姿を見て、いつしか医師になったときの情熱は醒め、冷静に収入やQOML(=Quality of My Life)の高い専攻科(具体的には皮膚科・眼科・精神科)を選ぶようになるのです。

また不景気や産業構造変化の先が見えない状況から、「食いっぱぐれのない職業」として医師を目指す傾向もあり、新卒では女性医師が30%を超えるまでになっているのはご存じのとおり。男女に限らず、医師になってみたものの、患者と接する段階になって「向いていない」と気づくことも多く、さまざまな形でドロップアウトしたり、フリーター化したりすることもしばしばです。著者の筒井先生は、50代の方で、麻酔科医です。麻酔科は病院に所属しなくても仕事ができるので(いわばフリーランス医師)、さまざまな病院で出会った若い医師の生態をあますところなく教えてくれます。

さらに返す刀で、病院に巣食う既得権にしがみついた老害医師も一刀両断。最近の大学病院や大きな病院の裏事情もマルわかりです。まあ、自分も老害医師の一人なのかも…ではありますが、近くに若手のドクターがいるのであれば、あるいは若いドクターを採用するような立場であれば、この本を一度読んでおくべきです。本文中にある「ネットでサクッと確保できるような人材」は「ネットで見つけた次の病院にサクッと転職するリスクが高い」…まさに名言であります。

日本の雇用慣行の形成史も押さえておきたい

COVID-19で混乱する医療界ですが、一般の大企業ではテレワークや時差出勤にウェブ会議など、まさに働き方改革を先取りするところが増えています。働き方改革がさけばれていた背景には、少子高齢化による労働力の減少だけでなく、日本の「労働環境の硬直化・悪化」があったと言われています。長時間労働のわりに(ゆえに?)低い生産性、人材の流動性の低さ、正社員と非正規労働者の間の賃金格差の存在など、多くの問題点は長期間にわたって言われ続けてきましたが、なかなか正すことができません。

3冊目、「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」は、日本社会が歴史的に作り上げてきた「雇用慣習」が、いかに私たちを呪縛し「働き方改革」を困難にしてきたのかを、じっくり考えさせてくれる好著です。

いわゆる「一流の就職先」とされる官公庁や大企業の雇用システム、つまり新卒一括採用、終身雇用、定期人事異動、定年制などの特徴を持つ「日本型雇用」。これは、どういうメカニズムでいつ誕生し、なぜ他の先進国とは異なる独自のシステムとして社会に根付いたのか…膨大な文献資料と、他国との比較で明らかにしていきます。

日本の雇用は「企業のメンバーシップ制」、ドイツは「職種のメンバーシップ制」、アメリカは「制度化された自由労働制」という類型化も、なるほどなぁと納得です。医業について考えてみると、医師以外は「病院という企業メンバーシップ制」でしょうし、医師の場合は「医局という中間的な組織へのメンバーシップ制」から最近は「制度化された自由労働制」への移行期にあると考えることができると思います。

本書ではまた、「上級職員(キャリア)・一般職員(ノンキャリア)・現場労働者の三層構造」「課ごとの大部屋システム」や「学歴社会であるがゆえに、相対的な低学歴化が進んでいる」ことなど、さまざまな現象を著者の視点から解明していきます。だからといって、一方的に政策や経営側を非難するというわけではありません。多くのことが経営側の思惑だけでなく、労働者側の社会認識の変化・思惑によっても生み出されていったことは、また事実なのです。そんな両面性があったことに驚きました。ポイントとなる文章を以下に引用します。


 「日本の労働者たちは、職務の明確化や人事の透明性による『職務の平等』を求めなかった代わりに、長期雇用や年功賃金による『社員の平等』を求めた。そこでは昇進・採用などにおける不透明さは、長期雇用や年功賃金のルールが守られている代償として、いわば取引として容認されていたのだ。(574ページ)」

 

なるほど…。全10章600ページと厚い本ですが、各章の冒頭に「この章のまとめ」があり理解しやすく、文献資料の読み解きなどは端折りながら読んでも充分理解できます。医師とは直接関係がないようにも見えますが、日本の雇用慣行の基礎知識は病院経営者としては必須ですし、交渉相手として無縁ではない公務員や官僚のマインドを知るためにも役に立つ一冊です。

まとめと次回予告

資格職業の浮沈、医師そのものの研修や専門医の制度変更、日本の雇用慣行という3つの視点で書かれた3冊を読んでみて感じるのは、現在直面している多くの制度疲弊の根底には、21世紀になってからの、つまりこの20年ほどの社会変動の大きさがあるということです。

20世紀後半の50年は米ソ対立という、わかりやすい世界の枠組みの中で安定した成長を享受できたと思います。しかし古き良き時代だったと懐かしんでばかりもいられません。まだまだ長いこの先の人生を学んで楽しみたい、つくづくそう思います。

さて次回は、これもまた21世紀になって大きく変貌した精神医学を取りあげます。

転換点となったDSM-IIIの出現、それにともなう「うつ病バブル」「発達障害バブル」、そしてまた最近になって逆方向に舵をきろうとする精神医学の動きを「シュリンクス-誰も語らなかった精神医学の真実」・「発達障害バブルの真相」・「オープンダイアローグがひらく精神医療」の3冊で読み解いてみたいと思います。