El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

持続可能な魂の利用

「おじさん」も読んで学びたい

持続可能な魂の利用

持続可能な魂の利用

 

この国から「おじさん」が消える・・・という帯にどっきり。おじさん、いやじいさん(?)が読んでみた。

女性の目からみて自分も含めて「おじさん」はこんな風に見えているのか、どんなところに「おじさん」を感じるのかが少しわかってくる。一方で、日本だけじゃないだろ、なんて「おじさん」的反論をしてみたりもする。

ストーリー的には、女性の立場からのおじさん社会の滑稽さ生きづらさが描かれ、それがやや強引な展開ではあるけれどあるアイドルによって転覆する。女性が読めば、まさに「おじさんあるある」なので共感も多いだろう。

私は男性ではあるが、最近の職場では(いや、家庭でも)上から目線にならないように気を付けなくては思うことも多く、読んでいて身につまされるし、うーん、これもアウトかというところも多い、それだけ自身のおじさん成分が多いということだろう。

いくつか抜書き

ーーカナダ人エマの言「日本って特に、悪い意味で、女性のことしか見ない国だよね。家父長制が徹底してるっていうかさ。女性にそうさせている男性の存在は無視して、女性だけを問題にして、非難することが当たり前になっている。そのシステム自体は絶対に問題視しない。これじゃ男性はまるで透明人間」・・・

ーーレディースクリニックで低用量ピルを処方される場面で「日本社会は、女性が楽をすることに、快適に暮らすことに、選びとることに、なぜか厳しい目を向ける社会だった。女性が自分の体をコントロールすることを良しとしない社会だった」・・・

ーーカフェでバイトの子に「前よりもきれいになったね」というおじさんについて「人の外見をいじってコミュニケーションを取ることに疑問を感じないタイプ」・・・

ーー若い女性の「オタ活」について「魂を持続させて。長持ちさせて生きていかなくてはいけない。そのために趣味や推しをつくるのだ」・・・

日本のおじさん社会ってどうなっていくのか。ここ数年の政権の迷走もあって、まさに「おじさん」の政治家やおじさんに起用されたおばさん政治家(まあ、本書的にはこれも「おじさん」の一種)、あるいは経済界の重鎮「おじさん」のやることなすことがダメダメになっていってるのは多くの人が感じているところ。それは本書が描く男社会の行き詰まりそのもの。

希望を感じるのは、すでに裏側ではじわじわと「脱おじさん社会」が進んでいるのではないかと思えること。人々がネットやスマホでつながることで、おじさんによる「上意下達」や「分割して統治」が機能不全になりつつある。男か女かにかかわらず人と人としてフラットな関係で行こうという若い人は増えているのではないか。

「上から目線」「おじさん」「アイドルグループ」「オタ活」「デモ」などなど最新世相をスパッと切り取って組み立てた革命ファンタジーにおじさんながらも爽快なものを感じた。

ニュージーランドや台湾のように女性が首長の国でコロナが封じ込められている現実は何を意味するのか。