El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(74)情報学の眼で生命を見る

――情報学の眼で生命を見る――

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしております、査定歴23年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「情報工学者の眼には生命現象はどう見えるのか」。テーマそのものがなんだか難しそうですが、著者は物理学科の教授でバイオインフォマティクスという情報工学分子生物学の境界領域を研究しているらしいです。

たとえば音楽CDにおいて、デジタル化して保存された情報をCDプレーヤーのヘッドが読み出して出力変換して最終的に人間が聴くことのできる音として出力しているメカニズム、これがいわゆるデジタル-アナログ変換ですが、このアナロジーとして分子生物学を考えてみたらどうなるでしょう。

遺伝情報の保存庫DNAから特定のRNAが読みだされる。RNA核酸3文字からなるコードをアミノ酸に読み替えそのアミノ酸を順番につなぐことでさまざまなタンパク質ができる。つながれたアミノ酸は自身が持つ電荷などのため、できあがったタンパク質は特定の3次元構造を形成しそてが生体分子として働く・・・いわゆるセントラル・ドグマですが、まさにこれってDNAという情報から実際のタンパク分子への「デジタル-アナログ変換」と考えることもできます。

そういうデジタルな処理系として分子生物学を眺めてみると・・というのが本書。言われてみれば確かにそうだと思うことばかり。さらに、少しでもプログラムをバグると動かなくなるコンピューター処理の繊細さ(Fragile)に比べて、生命のデジタル―アナログ変換は少々の読み間違いやバグ(例えば SNP:1塩基が入れ替わった状態)があってもなんだかんだで仕組みを動かす頑強さ(Robust)を持つことも特徴的です。そればかりか、バグもまた進化のタネになったりする・・・なんて柔軟なデジタル処理。

特に、細菌話題になっているゴミみたいなものと思っていたmiRNA(マイクロRNA)がまさにデジタル信号としてDNA→RNARNAプロテインの制御にさまざまにかかわっていることが具体的によくわかり、miRNAを再認識させられました。さらにlncRNAや環状RNA、そこからプロテインの3次元構造(ここらが最先端でなかなか解明されなさそう)と読み進むと、なるほど生体とは複雑すぎて人間の理解を凌駕はしているものの、つきつめていくとデジタルな構築物なのだという新しい認識に到達します。

生物学や医学から分子生物学にアプローチしてきた私にとっては、まず生き物としてのアナログな自分があって、その下支えとしてDNA-RNA-タンパク質のセントラル・ドグマがあるという認識でした。しかし、情報工学や物理学の専門家が分子生物学を見た場合にはまずDNA-RNA-タンパク質という情報処理系があって、これはまさにデジタル-アナログ変換であり、それが超複雑にからみあって生き物が構成されているという真逆のイメージなのですね。読み終わると、生体が赤血球や細胞や細菌のイメージからくる生もの感から離れて、何とも自分の中に広がるデジタル世界を感じて不思議な体験です。

人間は自分自身が意志をもって生きているからでしょうか、体の中の遺伝子や細胞も意志的に行動しているような認識がぼんやりあるのではないでしょうか。例えば、細菌が侵入してきたら白血球が「やっつけてやる」というような意志をもって細菌を攻撃するというマンガ的認識。しかし、実際にはそこに意志などあるはずもなく純粋な化学反応の積み重ねなんですよね。

アンダーライティングの世界に近いところではアクチュアリーは理学部数学科の出身の方が多いですよね。彼らの目には生ものの人間ではなくデータとしての人間が見えているのかもしれません。人それぞれ、受けた教育によって同じものでも違った見方をしていることにも気づかされる一冊でした。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2020年7月)