El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私の本棚 (10)コロナ禍の今こそエイズ史を振り返る3冊

還暦すぎのドクターに薦めたい―「エイズ・ドキュメンタリー」3冊

 本連載は、還暦すぎの元外科医ホンタナが良質な「一般人向けの医学もの書籍」を読むことで、医学・医療の今にキャッチ・アップしていきたい、そしてそれを同世代の医師と共有したい!という思いから始めたブックレビューです。これまでに月1回ペースで「神経免疫学」から「記憶と認知症」まで9回にわたって様々なテーマを取り上げました。

 今回のテーマはエイズエイズ新型コロナウイルス感染症(COVID-19)以前に起こったウイルス・パンデミックとしては、もっとも研究がすすんでおり、一般書でもクオリティの高いドキュメンタリーが多く出版されています。現在のCOVID-19の将来の姿を予測する上でも、今読んでおく価値は高いと思います。

エイズの歴史的な展開を知る名著―地方病からパンデミック

 薬剤も開発され、コントロールできる病気になりつつあるエイズ。国内では「いきなりエイズ」という言葉も生まれるくらいの、普通の性感染症の様相を呈してきました。

 1冊目は、エイズがどこから始まり、どのようにパンデミックになったのか克明にわかる本、「エイズの起源」です。事実は小説より奇なりと言いますが、まさに歴史の偶然の積み重ねが生み出したエイズ蔓延の真実のストーリー、圧巻です。

 中央アフリカの地方病的な類人猿由来のウイルス感染症が、いかにして世界中に拡大し2,500万人の命を奪うまで流行したのか、そのプロセスがくっきりと描き出されます。米国疾病予防管理センターCDCが1981年に最初の奇妙な肺炎を報告したものが公式のエイズ初報告とされていますが、過去に残された血液サンプルの検討などから、遅くとも1921年頃には地方病としてのエイズは存在していたようです。20世紀の初め頃、ほとんどがヨーロッパ各国の植民地だったアフリカにおいて、赤道直下の密林が広がる中部アフリカだけが残された土地でした。そこにフランス・ドイツ、さらには遅れてきた帝国主義国ベルギーのレオポルド2世が進出。鉄道を敷設し、天然ゴム産業で近代化をはかります。

 近代化の過程で、奴隷も含む男性労働者が都市に集中、それを追いかけるように売春産業の都市集中が起こります。おそらくは以前から細々と存在していた類人猿(おもにはチンパンジー)由来の辺境の感染症エイズが、そこで一気に地域的な感染拡大を起こします。やがて「アフリカの年」1960年となり、アフリカ諸国の独立をめぐり政治的混乱となります。その中で、同じフランス語圏黒人国家ハイチやアンゴラから、人材支援の人々が中央アフリカと母国を往復したことで、エイズは地域からカリブ海とアフリカ南部に拡散していきました。さらに当時のハイチがアメリカの性的リゾートであったことや、中米の血液製剤産業が増幅装置となり、ウイルスは一気に北米から世界中に拡大し、パンデミックとなりました。医療用血液製剤がからんだところはC型肝炎の拡大とも似た構図です。中国などに比べて、日本でエイズが小規模にとどまったのは、肝炎問題が先行したことで売血が禁止されていたからだとも言えるでしょう。

 地方病が60年をかけてパンデミックへ。その謎解きのパズルのピースが次々とはまっていく過程が描かれた一冊は、人間社会と感染症の関係を考察する上で多くの示唆に富んでいます。

エイズの起源

エイズの起源

 

薬害エイズで医師を苦境に立たせた、日本のポピュリズム政治とマスコミ

 2冊目では、日本の薬害エイズ事件を振り返ります。その時期にたまたま厚生省(現厚生労働省)の担当課長だったために、かなり大変なことに関わる人生となってしまった郡司篤晃氏(2015年死去)が書いた「安全という幻想 : エイズ騒動から学ぶ」です。

 郡司氏は厚生省薬務局生物製剤課長だった1983年、日本が血液製剤原料を依存していた米国でのエイズ流行を受け、対策を検討するためにエイズ研究班を組織しました。1994年にNHKの番組で「供血者がエイズを発症した製剤を製薬会社が自主回収した事実を、研究班に伝えなかった」と報じられたことをきっかけに、衆議院での証人喚問などで責任を追及され、マスコミからもかなり叩かれました。その後、東京地検が厚生省から押収した研究班第1回会議の録音テープで、実際は回収を伝えていたことが明らかになりました。つまり誤報だったわけですが、人々の記憶にはバッシングされる郡司氏の印象だけが残りました。

 この本では、その郡司氏が薬害エイズ事件を冷静に振り返っており、今になって冷静に読んでみれば郡司氏の意見のほうが合理的であり、あの頃のバッシング報道には疑問が多いことがわかります。当時の厚生大臣菅直人氏)が急転直下謝罪・和解するという、ある意味政治的パフォーマンスに走ったため、学問的に裁判を闘っていた郡司氏らは梯子を外されたかっこうになり、辛酸をなめました。のちにB型肝炎訴訟でも、菅氏は総理大臣として同様の行動をとりました。郡司氏は東日本大震災のときの原発へのヘリコプター視察もあわせて、本書の中で菅直人氏のポピュリズム政治を強く非難しているのが印象的です。

 わたしも当時は報道を鵜呑みにしていた一人です。政治やマスコミの攻勢の前には、科学的真実もかき消されてしまうという現実はつらいものがあります。本書は2015年7月刊行ですが郡司氏が直後に直腸がんで亡くなったことを考えると、遺言ともいえる一冊です。

安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ

安全という幻想: エイズ騒動から学ぶ

  • 作者:郡司 篤晃
  • 発売日: 2015/07/07
  • メディア: 単行本
 

エイズ否認主義に呑み込まれた南アフリカ疑似科学に取りつかれた大統領

 エイズ否認主義とは「エイズの原因はHIV感染ではない」という主張です。今回の3冊目「エイズを弄(もてあそ)ぶ人々」を読むまで、そんな主張があることすら知りませんでした。どうしてこんな否認主義がはびこるのか不思議な感じもしますが、デューズバーグという高名なウイルス学者までもが絡んでいるので驚きです。なぜプロのウイルス学者までもが、そんなことを言うのでしょう。

 この本の著者は心理学者でもあり、否認主義・疑似科学が生み出される心理学的なメカニズムをも明らかにしてくれます。そこには反ワクチン運動に通じるものも感じます。そしてネット時代の疑似科学は、笑い話ですまされない大きな災厄を南アフリカに引き起こしました。

 マンデラ大統領(在職1994~1999年)の誕生で明るい希望にあふれた南アフリカにも、エイズ感染の波が襲いかかります。マンデラ大統領の後継者であるムベキ大統領(在職1999~2008年)が、国内のエイズ対策に追われる中、ネットで出会ったエイズ否認主義に取りつかれてしまったのです。エイズ否認主義となった大統領が、国の政策レベルでエイズ否認主義を実践し、抗ウイルス治療を否定したのですからたまりません。南アフリカは急速にエイズ大国になってしまい、260万人という死亡者を出すことになりました。エイズ否認主義が引き起こした南アフリカの被害は、疑似科学による最大の健康被害のひとつです。

 疑似科学がらみの健康被害はネットとからむことで、日本でも他人事でなくなっています。日本の子宮頸がんワクチン反対運動も世界から見れば、ムベキ大統領の否認主義と大差ない非科学的な・・・そう、ある種の否認主義にほかならないのです。

まとめと次回予告

 今回は三冊ともやや古い本になりましたが、エイズの歴史・日本の薬害エイズ事件エイズ否認主義と読んでみれば、それぞれに医学の世界だけに限定するものではなく、感染症を取り巻く社会のありさまと深くかかわっていることがわかります。COVID-19についても、感染による直接被害だけでなく、感染予防のための対策や人々の反応によってもたらされる、社会・政治・経済への間接被害の大きさも目立ってきました。まさに病気は社会的なものであるということですね。

 さて、COVID-19での病床不足による医療崩壊が叫ばれたのも束の間、国民全体の受療行動の抑制がまねく医療機関の経済的苦境が取りあげられることが増えてきました。そうした中、これまでの医療こそがそもそも不要不急の過剰な医療だったとか、コンビニ受診が減った現状が本来の医療の姿ではないか、などという声も聞かれます。つい去年までは医師の働き方改革と言っていたのですが・・・。

 次回は、この先の医師の働き方を考えるためにも読んでおきたい本を取り上げてみたいと思います。「医師の不足と過剰」「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」というラインナップです。お楽しみに。