El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(72)甘いだけが糖(鎖)じゃない!

――甘いだけが糖(鎖)じゃない!――

おしゃべりな糖 (岩波科学ライブラリー)

おしゃべりな糖 (岩波科学ライブラリー)

 

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしております、査定歴22年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「糖鎖(とうさ)」。グルコースのような糖がくさり状につながったもののことです。実はこの糖鎖が体の中で重要な情報伝達の役割をはたしているらしいのです。わたしもこの本で初めて糖鎖のそういた機能を知りました。

例えばわれわれの血液型は赤血球の膜に存在するタンパクに結合している糖鎖の種類によって決まるんです。糖は1分子だけでは単なる栄養素としての糖にすぎませんが別の糖と鎖状に結合するとその結合パターンが特殊な意味(コード)を持つのです。本書のサブタイトルにあるように、糖鎖は遺伝子、タンパク質に比肩する第三の生命暗号なんです。

ウイルスが細胞に感染するときに細胞膜上の糖鎖コードを認識するという話を最近どこかで読みましたが正直ピンときていませんでした。ところが、本書を読むと糖鎖コードの多様な働きがよーくわかるんです。120ページほどの本なのに驚きの名著です。

とは言うものの文章だけで糖鎖コードのことを説明するのはかなりむずかしい。例えばプラレールのパーツをレールにするためには滅茶苦茶につなぐことはできず一定の可能なつなぎ方というものがありますよね、糖の場合も同じことで様々な糖分子をつないでできる糖鎖には一定のパターンが発生します(著者はQRコードに例えています)。それが情報として働くというわけです。

つなぐ時には酵素が必要なので、どういう糖鎖ができるかは、どんな原料の糖があるのか、どういう酵素がどんな濃度であるのかなどによっても規定されます。血液型の場合は糖鎖を作る酵素が遺伝的に決まっていて、赤血球膜上のそうした糖鎖が結合したタンパク(=糖タンパク)が抗原として働くわけです。

こうした抗原性を発揮するという働くだけではありません。体内には特定の糖鎖と結合して作用するタンパク質(これをレクチンと総称します)があり、糖鎖はレクチンを介して体内のさまざまな出来事の調整をおこなっています。ただし、遺伝子や酵素のようにall or nothingという調整ではなく、糖やレクチンの濃度によってけっこうアバウトな感じの調整らしいです。四角四面ではない柔軟な調整役といったところでしょうか。

鳥のインフルエンザが本来は人間には感染しないのはウイルスの膜上のレクチンが鳥と人間の糖鎖を識別しているからです。ところがウイルスの糖鎖認識機構が変異して人間の糖鎖にも結合するようになる・・・となるとコウモリのウイルスが人間に感染したCOVID-19も糖鎖に関わってくる話になります。

体内のホルモンの中にも糖鎖が結合していてはじめて機能を発揮するものがあります。例えばエリスロポエチンは遺伝子組み換えで大腸菌で合成しても糖鎖の違いで人には効果がありません。そのため治療薬としてのエリスロポエチンはハムスターの培養細胞で作っています。このエリスロポエチン、人間由来のものとは糖鎖が異なります。エリスロポエチン・ドーピング(自転車のアームストロング選手など)は糖鎖の違いで発覚するのです。

などなど、120ページの本の中におもしろいエピソード満載でここでは紹介しきれません。ぜひ読んでみてください。最初に少しだけ化学式が出てきますがそこを乗り切ればエンターテインメント性たっぷりの糖鎖の新世界が見えてきますよ。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2020年06月)

 関連サイト

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK310274/
本書にも紹介されていますがこの分野「糖鎖生物学(Glycobiology)」の最新版の教科書(英語版)がwebで全文公開されています。太っ腹ですね。