El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

世界史の針が巻き戻るとき

「世界は存在しない」というのは日本では自明の理・・・と明記あり

 「なぜ世界は存在しないのか」のエッセンスを語りつつ、著者が言うところの形而上学(=科学的世界観?)の現代的表現であるネットやそのベースとなる統計学的世界観へのアンチな意見を開陳(ある意味罵詈雑言っぽい)したもの。NHKでよく見る著者に近いイメージ。

腑に落ちたのはP96-97の以下――日本にいる人は、「世界は存在しない」ということをよく理解する方法を知っているからです。「世界は存在しない」というのは日本では自明の理でしょうが、他の地でそう言われたことは未だかってありません。ですから私の「新しい実在論」は、日本人の経験則とよく共鳴するはずです。(引用終わり)――。

つまり、日本(や東洋的な考え方?)では多元的な考え方はごくごく当たり前であって、著者の「新しい実在論」は日本では新しいものではなく、普通にみんながもっている無常観だったり、わび・さびだったりであるということ。逆に、西洋人にとっては、それ(多元的な見方)が普通ではないというのが驚き。その彼我の差に気づけば「なぜ世界は存在しないのか」が、あれだけのページを使ってなんだか当たり前のこと言ってるなと思うことにも納得。