El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私の本棚 (6)日米のがん啓蒙書読み比べ、治療にも格差

還暦すぎのドクターが出会った一般向けの医学読み物の数々

 本連載は、還暦すぎの元外科医ホンタナが、良質な「一般人向けの医学もの書籍」を読むことで医学・医療の今にキャッチアップしていきたい、そして、それを同世代の医師と共有したい!という思いから始めたブックレビューです。

 月1回ペースでこれまで「神経免疫学」「胎児学・発生学」「ネット時代の医学教育」「反ワクチン運動」「微生物学」といったテーマの一般向け医学書を取り上げてきました。

 第6回は「がん」。がんと人類の戦いの歴史をぎゅっとまとめた翻訳ものを、現在の、そして未来へのがん研究の最前線をすっきりまとめた、日本人研究者が書いたものを紹介します。あわせて、この2冊から見えてきた欧米と日本の科学啓蒙書のちがいも考えてみました。さらに、欧米との差という観点から、がん治療の日米格差が明らかになる1冊で締めくくってみます。

がんとの闘いは、常にそして急激に変化をつづけている

 私が医師免許を取得して30年の間にさまざまなイノベーションがありました。乳がんにしてもハルステッド手術(拡大)→オーチンクロス(胸筋温存)→部分切除とあっという間に変化し、日進月歩のせわしない毎日でした。そしてこれまで、そんなせわしなさは、当時の急激な医学の発展のせいにちがいないと思っていました。昔はもっとのんびりしていてよかったのだろうと。

 ところが、今回最初に紹介する『がん‐4000年の歴史-』(シッダールタ・ムカジー著)を読んで「医学はいつだって急激な発展の中にあった」と気づかされました。

 この本を読むと、がんと人間の闘いの歴史は、遠い昔から人間の側が不断にイノベーションし続けることで進んできたということが強く実感できます。自分が医学部で学んでいたそのときも医学は静止状態にあったわけではなく、今と同じように激しいイノベーションの途中だったのです。

 しかし、医学教育では、いったんはその時点のスタンダードを教え、学ぶしかない。学ぶ側は、自分の学んだ時点でのスタンダードを医学のスタンダードだと思い込んでしまう、まさにそれが私自身でした。

 私が学んだ古典的ながん化学療法・過大な根治的外科手術、それらが30年の間に合理的・科学的な最新の治療に取って代わられていきました。

 本書では、その変化が目の前で展開されるかのようにリアルに描かれています。過去から続く永遠のイノベーションを目の当たりにし、自分の頭を不断の努力でリニューアルし続けるしかない…。そんな決意をさせてくれる一冊です。

 上下巻で1000ページを超える大著ですが、ストーリーテリングも巧みで、途中で飽きさせることなく一気に読ませる、ピューリッツァー賞受賞作。かなりおすすめです。

 

これが日本の「がん研究」最前線

 

 日本人が書いたものでこの本に匹敵する本はないだろうか…。そんなことを思っていた時刊行されたのが『「がん」はなぜできるのか そのメカニズムからゲノム医療まで』(国立がん研究センター研究所編)。がん研究センターの研究部門それぞれが今取り組んでいる研究テーマを語る本で、まさに未来に向けた「がんとの闘い」です。しかし、この本をすらすら読めるかというと、一般人にはややむずかしく面白みに乏しい。全体の構成をあらかじめ頭に入れてから読んだほうが読み通せそうです。そこで少々武骨ですが全8章の構成をナビゲートしてみます。


第1章 がんとは何か?」がん遺伝子とがん抑制遺伝子から、がんは遺伝子の病気であるということを理解。

第2章 どうして生じるのか?」そんな遺伝子変異が起こるメカニズム。

第3章 がんがしぶとく生き残る術」 がんが免疫機能による排除を免れるという現象から、抗PD-1抗体(オプジーボ)そしてCAR-T(キメラ抗原受容体発現T細胞)療法のことまで。

第4章 がんと老化の複雑な関係テロメアを中心に老化とがんの不死性の関係。

第5章 再発と転移」がん幹細胞の概念をもとにがんの再発・転移するメカニズム。

第6章 がんを見つける、見極める」最近よく耳にする「血液1滴で数十種類のがんがわかる…」という触れ込みの「miRNA」の話。miRNAはがん研究センターの目玉研究のひとつ。

第7章 予防できるのか?」生活習慣レベルのがん予防から始まり、薬剤によるがん予防、たとえば「アスピリンで大腸がん予防」。しかし、日本では感染症原因のがんが20%と先進国では異例の多さ(肝がん・胃がん・子宮頸がん)であることを考えると、感染防御こそが、がんの予防であると。

第8章 ゲノムが拓く新しいがん医療」…最終章が「がんゲノム医療」。がん遺伝子パネル検査によるがんの最適化医療。

 

 以上、章立てを理解することでがん研究の最前線が見えてきます。書かれている情報はすごいのに、全体が論文調で一般の人には面白みがないのも事実。『がん‐4000年の歴史‐』と比べると、一般人が手に取れるような面白く読ませる工夫がないのが残念です。

 

 

がん治療で実感する日米医療の差

 最後に取り上げるのは『日米がん格差 「医療の質」と「コスト」の経済学』(アキよしかわ著)。ここでいう「格差」とは「がん治療の格差」のことです。

 著者のアキよしかわ氏は10代で単身渡米し、医療経済学を学んだ後、スタンフォード大に医療政策部を設立。欧米、アジア地域で数多くの病院の経営分析に従事という経歴を持っています。さらに日本の医療界に「ベンチマーク分析」を広めたことで知られる…とあります。

 そのアキよしかわ氏が大腸がんになって日本で手術を受け、ハワイで化学療法を受けたという経験をとおして、日米のがん医療のちがいを的確に示してくれます。

 最大の違いは、日本では病院ごと、さらには医師ごとで治療の「質」のバラつきが大きいこと。これに対してアメリカでは、保険制度のちがいもあって「コスト」のバラつきは日本より大きいけれど、治療の「質」はバラつきが少ない。

 これは、診療ガイドラインの遵守がアメリカではかなり厳格なのに対して、日本では医師の判断でガイドラインを逸脱し、ガイドラインに沿っているように見えて、恣意的に医師側に都合のいいゾーンに割り振るというようなことが起こっているから。

 なぜそんなことが起こるのかというと、そもそも日本では医療機関の設備や人員のバラつきが大きいため、ない袖はふれないからです。そんなことがベンチマーク解析で統計的に明らかにされていきます。

 その結果として、アメリカで良い医療を受けるには良い保険に入っていることが必要。一方、日本では良い病院、良い主治医にめぐりあう幸運が必要…。いやあ、実感としてよくわかります。

 ここ数年、日本の医療もガイドラインが充実してきているので、日米差は以前より小さくなっているのかもしれません。しかし、やはり医師である私でも、いや医師だからこそ、自分や家族の病院選びのときの態度は著者がいうとおり…、かなり吟味してしまいます。当たり外れは確かに大きく、まれにトンデモクリニックがあることもまた事実。まさに痛いところを突かれました。

日米がん格差 「医療の質」と「コスト」の経済学

日米がん格差 「医療の質」と「コスト」の経済学

  • 作者:アキ よしかわ
  • 発売日: 2017/06/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

まとめと次回予告

 アメリカと日本のがん啓蒙書を読んで、がんとの闘いの過去から未来を俯瞰することができました。最初に取り上げた2冊に感じた日米の科学啓蒙書のクオリティの差については、植物学で著名な塚谷裕一氏が最近「科学出版の彼我の差」(University Press 2019年6月号 P7-11東京大学出版会)という文章を寄せていました。

 塚谷氏曰く「(欧米では)編集者、あるいはエージェントが内容を精査し、相当突っ込んだレベルで著者にだめ出しをして、磨きに磨き上げた本である。場合によっては、一から書き直しということも少なくない。逆に言えば、著者と編集者が二人三脚で良いものを目指すという姿勢が明確である」…と。これに比べて日本では「手書き原稿時代の編集者の役割―原稿を催促し、受け取り、字を解読し、活字に組んで印刷にこぎつける―からあまり変わっていない」と。

 電子媒体で原稿が入稿される時代となり、日本でも欧米並みの著者―編集者の関係が望まれる時代になりつつあるのだろうと思います。書き手側の意識改革も必要ですね。メンバーズメディア編集部の編集力にはいつも感心させられますので、電子メディアの世界ではすでに新しい編集のありかたが実現しつつあるのかもしれません。

 また、こうした出版文化だけでなく、『日米がん格差 「医療の質」と「コスト」の経済学』からは、日本的な負のレガシーは医療にも厳然と存在することを再認識させられ…、やや暗い気持ちです。

 さて次回は、そんな日本の医療の負のレガシーに風穴をあけようと奮闘してきた医師たちの評伝を取り上げてみたいと思います。「移植医たち」「ペニスカッター」「ゴッドドクター徳田虎雄」というラインナップを予定しています。お楽しみに。