El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(68)認知症への思いの男女差

――認知症への思いの男女差――

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています。コロナ禍の中、査定歴23年目に入った自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「認知症」。今回は「自分が認知症になったらどうなるのか」という見方をしてみましょう。

 認知症の臨床と研究の第一人者である長谷川和夫先生が80代後半になって認知症になったのです。認知症専門医が認知症になっていく過程で知る認知症の真の姿とは・・・。日本で認知症のテストといえば「長谷川式認知症スケール」。①年齢②日時の見当識(今日が何年、何月、何日かを問う)③場所の見当識(今現在の場所がどこなのか問う)④3つの言葉の記銘(3つの単語、桜・猫・電車(または梅・犬・自動車)を順番に暗記してもらう)⑤計算問題(数字を使った計算100から7を引いていく)⑥数字の逆唱(提示する3ケタの数字を逆から読んでもらう。正解したら次は4ケタで)⑦3つの言葉の遅延再生(④で暗記した単語を復唱してもらう)⑧5つの物品記銘(5つのアイテム-タバコ、ペン、腕時計など)を順番に見せ、後で何があったかを問う)⑨言葉の流暢性(野菜の名前などをできるだけ多く答えてもらう)・・・これを作ったのが長谷川和夫先生。2月にNHKスペシャルで「認知症の第一人者が認知症になった」(このwebsiteは読み応えあります、お薦めです)を見ました。長谷川先生が認知症になり番組の収録期間中の中でも進行していく姿は驚きでした。

 この本はそんな長谷川先生の若き日から現在までの道のりをたどりながら、認知症が進んでいく過程での先生の思いを猪熊律子さんが聞き取りまとめたものです。先生の思いの中でもっとも大事なのは認知症の本質は「ボケること」そのものではなく、それによって引き起こされる「暮らしの障害」=「生活障害」なのだということ。

 先生は、「年をとるのは自然の経過だから、『ああ、自分も認知症になったんだな』と受け入れて、上手に付き合いながら生きていく。」と言っています。だから周囲の者が認知症の暮らしの障害がどんなものなのかを理解し、生活を共にするときの知識や技術を周囲の人が知っておいてくれたら認知症の人にとっての生きやすさはかなり違ってくるのです・・・それを称して「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」・・・なんだと。

 しかし、ここまで読んで私は思いました。先生がいうところの「検査や薬ではなく、パーソン・センタード・ケアの精神で生活の障害を支援しつつ老化の進行に付き合い、そして死に寄りそう」・・それって結局、昔の日本の大家族の中で普通に行われてきたことじゃないですか。大家族の中であったら、そして今ほど長寿じゃなかったら、家族とともに自然体で暮らしながら死を迎えられたんじゃないかと。それを長谷川先生が一生かけて疾病化し、病名も変え、診断手法も考え、医療化したことが本当に良かったのだろうか。結局、誰も老化は避けられず、脳の老化が先行することもひとつの自然経過なのだと。そしてそれを長谷川先生が身をもって示してくれたということではないでしょうか。

 ところが、「認知症を病気にしてしまったことが本当に良かったのか疑問だね・・」などと、私が食卓で理屈をこねていると、現実的なわが妻が言うには、「病気と認められたからこそ、家庭と切り離すことができて、良かった・救われた」。ここで初めて、多くの女性にとって親世代や夫の認知症を介護することは老後に降りかかってくる災厄でもあったのだと気づかされました。

 長谷川先生も認知症になりながらも快適な生活をおくれるのは奥様とお嬢様の二人の介護者がいるからなのでした。長谷川先生も私もまさに昭和男の「ボク」目線で認知症がわかったような気になっているだけなのかも・・・いやきっとそうですね。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2020年4月)