結局、認知症は老化の一形態であり疾病化するべきではなかった、ということなんじゃないのかな
老化により記憶障害で日常生活が障害されて、その範囲が広がっていく。だから検査や薬よりも「パーソン・センタード」で、障害された生活部分を支援しつつ老化の進行に、そして死につきあっていく・・それって結局、昔の日本でやってたことなんじゃないの。大家族だったらそして超長寿じゃなかったら家族の中で調整できたんじゃないの。長谷川先生が一生かけて疾病化して病名も変えて診断手法も考えて医療化したことが本当に良かったのか。
結局、誰も老化は避けられず、脳の老化が先行すればだれでも「認知症」って呼ばれるようになってしまった。そしてそれを長谷川先生が身をもって示してくれた。(2022/09/23PDF)