El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

科学出版の彼我の差 UP2019年6月号

東京大学出版会の広報紙「UP」の2019年6月号に「科学出版の彼我の差」(塚谷裕一) が掲載されていました。これは、塚谷氏が讀賣新聞の書評欄を担当する読書委員を二年間経験して論じたもの。

日本の科学啓蒙書は欧米のそれとくらべて

  1. 内容の重複が多い
  2. 逆に、説明が不足している。
  3. 図が下図レベルで完成度が低い
  4. 読者の想定しベルが書を通じて統一されていない
  5. 文章が読みづらい

 と、ばっさりです。その原因は日本の著者―編集者の関係性にあるというのです。引用しますと―――

「(欧米では)いずれも編集者、あるいはエージェントが内容を精査し、相当突っ込んだレベルで著者にだめ出しをして、磨きに磨き上げた本である。場合によっては、一から書き直しということも少なくない。逆に言えば、著者と編集者が二人三脚で良いものを目指すという姿勢が明確である。編集者は文字通り、編集という仕事をきちんとやり遂げているのだ。彼らには、本というものは、筆者自身が持つ素材と筆力に、編集者が持つプロのノウハウが組み合わさって、初めて完成する製品だ、という意識がある。」

これに対して日本では―――

「作家と編集者の間の関係が対等ではなく、編集者側はありがたく作品をいただくのみ、という強い上下関係があると、こういうことが起きかねない。この伝統が、科学啓蒙書の出版の世界にも持ち込まれてしまったのではないだろうか。」

編集者の役割が締切に間に合うようにせっついて、原稿用紙に書かれた原稿を受け取り読みにくい字を解読し活字に組んで印刷にこぎつけるという時代であればこれでよかったでしょうが、電子媒体で原稿が入稿される時代となり、欧米並みの著者―編集者関係が望まれる時代になりつつあるのかなと思います。そこには編集者もプロ意識を持っていることが要求されるでしょう。