El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

私の本棚(5)じつは微生物学の最先端がスゴイ

還暦すぎのドクターが出会った一般向けの医学読み物の数々

 還暦すぎの元外科医ホンタナです。手術はとうの昔に引退し、医師としての引退も近づいてきました。外来に追われ、手術に追われ、その日暮らしの30数年。気がつくと医師とは言え、自分の専門分野以外ではいつの間にか門外漢になっていたのです。

 なんとか今の医学にキャッチアップしたい、でも専門書はハードルが高いなあ。そんな思いで本屋を見て回っているうちに、今どきは「一般人向けの医学もの書籍」がすごく充実していることに気づいたんです。

 この連載は、そんな良質な「一般人向け医学もの書籍」をピックアップして、同世代の医師にその面白さを紹介しようというブックレビューです。同世代の先生がた、ぜひ一緒に楽しみましょう。

 これまで「神経免疫学」「胎児学・発生学」「ネット時代の医学教育」「反ワクチン運動」といった、多彩な分野の一般向け医学書を紹介してきました。。

 第5回となる今回は「微生物学の現在」という視点から、「CRISPR-Cas9」や「腸内細菌」の世界を、一般書を通じてのぞいてみましょう。
 医学生だった頃は、「微生物学に進歩はもうないのでは?」とも考えた私でしたが、最近の書籍を読んでみると驚きと発見の宝庫でした。

細菌研究から飛び出した最先端技術CRISPR-Cas9

 ゲノム編集という言葉をニュースでも耳にする機会が増えました。
 今回の最初のテーマは「CRISPR(クリスパー)」。ゲノム編集を可能にしたノーベル賞(化学賞?)級の発見です。

 この発見の主役である女性研究者、ダウドナ博士自身が研究の道のりをわかりやく本にまとめてくれました。それが「CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見」です。

 ヒトのような多細胞生物だけではなく、細菌などの単細胞生物にもウイルスが感染します。ヒトに免疫機構があるように、細菌にも一度感染したウイルスには感染しないという免疫作用があるのですが、そのメカニズムは謎でした。

 ダウドナ博士たちは最初に、細菌の持つCRISPRと呼ばれる特殊なDNA配列が細菌の免疫現象を担っていることを解明しました。

 細菌の遺伝子の中にあるCRISPR部分(核酸配列が回文状になった部分)には、細菌が過去に感染したウイルスのDNAがスクラップブックのようにはめ込まれています。ここに新たなウイルス感染がおこると、CRISPR部分のスクラップブックからRNA(crRNA:クリスパーRNA)が作られます。

 そして今回感染したウイルスがそのcrRNAに合致する塩基配列を持っている、つまり過去の記録と配列が一致した場合には、ウイルスとcrRNAに相補性があるため二重らせんを形成します。そこにCas9というタンパクが作用して、ウイルスDNAをばらばらに切断するのです。

 ダウドナ博士はさらに、この一連の仕組みの中から「CRISPR部分と相手を切断する仕組み(Cas9)」だけを取り出すことに成功しました。

 そしてCRISPRの中のウイルスDNAの代わりに、切断したいDNA塩基配列を組み込みCas9タンパクと混合して(これをCRISPR-Cas9とよびます)細胞に入れることで、細胞内のDNAをその配列部分で特異的に切断できるようにしました。つまりCRISPR-Cas9はまさに、切断したいDNA配列を自由に切断できるハサミとなったのです。

 これまでにも遺伝子操作する技術はありました。しかしそれは、DNAを放射線制限酵素を用いてランダムに切断・接合し、その中から目的にあった組換えをもつものをスクリーニングするという、不確実で気の遠くなるような作業でした。

 ところがCRISPR-Cas9を使うことにより、高校生の生物実験レベルの設備で、DNAの任意の場所での切り貼りができるようになったのです。

 本書では、その発見にいたるまでの道のりがステップを追ってリアルに書かれていて感動します。研究者(その多くが女性です)が、遠く離れた施設間でのネット会議や学会でのコーヒーブレークでのおしゃべりなどを通して、啓発されたりコラボしたりしながら少しずつ前進し、ついにはとんでもない発見にたどりついてしまう・・・そんなサクセス・ストーリーです。私もはるか昔の研究生活を思い出しました。

抗生物質で太る!?

 2冊目は「失われてゆく、我々の内なる細菌」 というタイトルの書籍。これだけでは意味不明です。ところが一読して、著者であるブレイザー教授にすっかり心酔してしまいました。ブレイザー教授はニューヨーク大学の教授で、2015年のTIME誌が選ぶ世界で最も影響力のある100人にも選出されています。

 テレビなどで腸内細菌の話題が増えてきていますが、いまひとつピンときていませんでした。ところがこの本を読み、腸内細菌と抗生物質をからめて考えることですっかり腑におちました。

 家畜のエサに低用量の抗生物質を混ぜていることは知っていましたが、その目的が「脂がのって体重が増えるから」だったとは驚きです。腸内細菌叢(=マイクロバイオーム)を抗生物質で撹乱すると体重が増えるということが仮説ではなく、実際に畜産では実用的に使われているのです。

 抗生物質の歴史と肥満が急増してきた歴史はシンクロしており、抗生物質やファストフード→腸内細菌叢の破壊→肥満・うつ・糖尿病という流れの分子生物学的なメカニズムも解明されつつあるというのです。

 特に小児期の抗生物質でマイクロバイオームが破壊されることや、帝王切開でマイクロバイオームの形成が不十分になること、さらにはピロリ菌の除菌でも体重が増えること、などなど目からウロコの話題が満載です。

 細菌との共生関係は、人類誕生以来育まれてきたものです。
 もちろん結核やペストなど、致死的であった多くの細菌感染症抗生物質で治療できたことは奇跡的な出来事です。しかし、抗生物質の歴史はほんの50年にすぎません。

 抗生物質を工業的に大量に作り使用するという経験をしたのは、まさに我々世代からなのです。その負の影響があるとしたら、それを経験するのもまた我々なのです。肥満の急増はその最初の兆候なのかもしれません。

 抗生物質の大量使用が人体と細菌の共生関係=マイクロバイオームを破壊し、多くの現代病を引き起こしているという考え方は突飛なようにも見えますが、次第にその科学的なメカニズムが解明されようとしている・・・。腸内細菌も目が離せない分野です。

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌

 

もう少し網羅的に学ぶならば・・・

 微生物学の最先端を網羅的に学ぶのにふさわしい一冊として、パスカル・コサール著「これからの微生物学」も紹介しておきましょう。副題が「マイクロバイオータからCRISPRへ」となっており、今回のまとめにふさわしい一冊とも言えます。

 この本ではCRISPR-Cas9やマイクロバイオームだけでなく、現在の微生物研究における最前線の様々なテーマが取りあげられています。

 多剤耐性菌問題の解決としてのファージ・セラピー(細菌を殺すウイルスによりヒトの感染症を治療する)、ブデロ・ビブリオ(細菌を殺す細菌)、クオラム・センシング抑制(細菌間の情報伝達阻止)など、初めて目にする用語もたくさんです。
 これらをひとつひとつ理解していけば、なるほどこのあたりが最先端だとわかってきます。

 中でも、ボルバキアという細菌を病気に媒介する昆虫へ感染させることで、昆虫の生殖様式を変異させ結果的に駆除する、というテーマは著者の専門分野のひとつらしく、特に熱心に語られています。まさに微生物学も、分子生物学のツールを使うことで大きく変化しているのです。

 著者のコサール博士は「微生物学には魅力的な未来が待っている」と結んでいます。確かに、微生物研究の中から第二のCRISPR-Cas9になりうるブレークスルーが出てくる可能性は高そうです。

 ただし日本の科学研究のしくみ―特に科研費制度は目先の結果重視ですから、一見地味で長期展望が必要な微生物学が生き残っていけるのか・・・と、心配してみたりもします。

まとめと次回予告

 細菌の基礎研究から世紀の発明につながったCRISPR-Cas9、さらに腸内細菌をはじめとした細菌と人類の共生の話、そしてそれ以外にもブレークスルーが期待できる微生物学の現在、いかがでしたか。
 私が医学部で学んだ30年前には、もはや新しいことは何もないように見えた微生物学でしたが、こうしてアップデートされ続けているんです。

 さて、次回は「がん」をテーマに、日米の一般書を読んで比較してみます。
 米国からは読み物としても抜群におもしろいS・ムカジー著「がん―4000年の歴史)」、そして日本からは国立がん研究センター研究所編「『がん』はなぜできるのか」を読み比べてみます。

 さらに日米の違いということで、がん治療に存在する日米格差を明らかにしてくれる、アキよしかわ著「日米がん格差」とつなげてみたいと思います。お楽しみに。