El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ホモ・デジタリスの時代

良書だが、日本語タイトルでAI本と勘違いされて却って敬遠されそう

ホモ・デジタリスの時代:AIと戦うための(革命の)哲学

ホモ・デジタリスの時代:AIと戦うための(革命の)哲学

 

 訳書のタイトルは「ホモ・デジタリスの時代 AIと戦うための(革命の)哲学」、原著のタイトル(訳者あとがきから)は「時代は変わったと言うべき・・・懸念される変化の(うなされるような)編年史」。販売上のインパクトを期待しての邦題だろうがやりすぎ感はある。

脱工業化からデジタル化・ネット化・iPhone化・ポピュリズムを主にヨーロッパ哲学の過去の言説を引用しながら解説するというスタイル。ただしデジタル社会論は最後の1/3程度(第3章)で、大部分は1968年の大衆革命の時代から現在のポピュリズムの時代のたしかに原題通り「編年史」あるいは「読書メモ」。諸所に「ああそういうことか」という気づきもあっておもしろい、しかし、あくまでも1953年生まれの著者が自分の時代を語る本と考えた方がよい。平成生まれ、ましてや21世紀生まれにとっては・・

そう言えば、冒頭の章に「今日20歳の若者の50年前の世代(つまり著者や評者のこと)にとって1918年の第一次世界大戦の休戦が遠い時空の出来事だったように、今日の若者にとって「68年5月」も同様だ」と書いてある。世代がかわって教訓は忘れ去られ、過去の歴史がモダンな装いに変奏されて繰り返される。そんな歴史観の1953年生まれ世代版といったところか。あるいは「いまどきの若いもんは・・・」という永遠の嘆きの変奏か。