El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

失われた時を求めて 11

全13巻の鈴木道彦訳の集英社文庫版、11巻目「逃げ去る女」を読了。

アルベルチーヌが急に逃げて馬に乗っていて死ぬ。語り手の立ち直りは意外に早い。それでも、ああでもないこうでもないと、立ち直りに向けてのうじうじした思考は続く。抜き書きから

――私たちはひとりの若い娘を愛しているのだと思い込んでいる。ところが悲しいことに、彼女の中でただ暁を愛しているだけなのだ、彼女の顔が一時的にその赤い色を反映している暁を。――

若い娘に魅かれるのは、昇る太陽だから。その昇るというベクトルこそがエネルギーを持っているのであり、その娘固有のものはわずかにすぎない。ああ、これはよくわかる。

――自分の才能が発揮されないような比較的ひまな生活を送るには頭が良すぎるためにいつも退屈している人間の焦燥――

故に、こうして本を読み感想を考える。しかし才能が発揮されずにただ忙しいという仕事であれば辞めるだろう。つまり、いずれにせよ才能ぎりぎり一歩手前くらいの仕事を楽しんでやることが必要。自分を追い込むこともまた必要。