もちろん良いが、先に読むべきではない
まさに鈴木道彦訳の「失われた~」全13巻をもう少しでフィニッシュするところなのだが、この新書のほうを先に読むのはビミョーだと思う。
少なくとも「ゲルマントの方」までをとにもかくにも読み通し、いわゆる「ゲルマントの壁」を自力で超えるとこまで行かないと「失われた~」が「カラマーゾフ」や「戦争と平和」などとはまったく違うタイプの小説(小説でもない?)とわからないのではないか。その「わからなさ」「なんだこれ?」感が醸成されたところでジョゼフ・チャプスキ「収容所のプルースト」を読む。そうするとぼんやり明かりが見えてくる。そこで「失われた~」を「囚われた女」あたりまで読む。またまた「なんでそうなるの?」的な気分になったところでこの新書を伴走者にすると、視界が開けた感じでゴールできそう。「失われた~」を読む前から何となく先行きを教えてくれる本書は少なくとも「失われた~」本文よりは少し遅らせて読み、「あれはそういうことか・・・」と後体験したほうが楽しい。
そしたら、ちがう訳者でもう一度という気分にもなれる。