El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

プルーストを読む

 もちろん良いが、先に読むべきではない

まさに鈴木道彦訳の「失われた~」全13巻をもう少しでフィニッシュするところなのだが、この新書のほうを先に読むのはビミョーだと思う。

少なくとも「ゲルマントの方」までをとにもかくにも読み通し、いわゆる「ゲルマントの壁」を自力で超えるとこまで行かないと「失われた~」が「カラマーゾフ」や「戦争と平和」などとはまったく違うタイプの小説(小説でもない?)とわからないのではないか。その「わからなさ」「なんだこれ?」感が醸成されたところでジョゼフ・チャプスキ「収容所のプルースト」を読む。そうするとぼんやり明かりが見えてくる。そこで「失われた~」を「囚われた女」あたりまで読む。またまた「なんでそうなるの?」的な気分になったところでこの新書を伴走者にすると、視界が開けた感じでゴールできそう。「失われた~」を読む前から何となく先行きを教えてくれる本書は少なくとも「失われた~」本文よりは少し遅らせて読み、「あれはそういうことか・・・」と後体験したほうが楽しい。

そしたら、ちがう訳者でもう一度という気分にもなれる。

収容所のプルースト (境界の文学)

収容所のプルースト (境界の文学)