El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(55) アンダーライティングの集合知

――アンダーライティングの集合知――

知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学

 

 気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしております、査定歴22年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回とりあげたのはアンダーライティングを支える知識・知恵のありかたを考えさせてくれた本「無知の科学」。

 アンダーライティングを支える知識・知恵はどういう形で存在しているのでしょうか。我々がアンダーライティングで判断を下そうとする時、アンダーライターや医務職で知識の深度にかなりばらつきがあっても組織としては大きく間違わないという仕組みはどうやって実現されているのでしょうか。

 この本、「知ってるつもり 無知の科学」はその答えを「集合知」の重要性に求めます。それはつまり、私たちは自分の知識で考えているというつもりでいるのだけど、実際はそうではなく自分を取り巻く知識のコミュニティ(=集合知)に支えられて考えているということ。

 本書の前半では、我々一人一人の知識がいかに薄っぺらいものかということを様々な認知科学の研究をもとにあぶりだします。代表的な実験が「説明深度の錯覚」に関する実験。水洗トイレやジッパーなど日常的に使っているものについてよく知っているという被験者たちにその作動メカニズムの詳しい説明を求めると、ほとんどの人は何も答えられなくなってしまいます。なんとなく知ってるつもりなのに実はぼんやりとしか知らなかった、上っ面しか知らなかった・・これが説明深度の錯覚。

 あるいは、「直観」と「熟慮」のテスト。例題「バットとボールで合計11,000円、バットはボールより10,000円高い。ボールはいくらか」という問題に直感的に間違った答えを出す人がいかに多いか。アメリカの名だたる大学の学生でも正解は半分以下です(正解は500円)。これは人間がいかに「直観」を信じてしまいやすいということ。直観で査定することも多い私としては・・ちょっと怖い。

 このように個人の知識は驚くほど浅いのにも関わらず我々はその無知さを意識せずに暮らしているのです。しかし本書では人間は無知でダメだと言うのではありません。一転して本書の後半では、私たちを取り巻く世界はあまりにも複雑になりすぎて、個々人がすべてを理解することなどとてもできない。だから人間は知識を深化させることよりも、刻々変わる状況下で意思決定に役立つ情報だけを抽出するように進化してきたのだというわけです。「知識のコミュニティ=集合知」が人類の進歩とともに発達し、私たちが「集合知」をあたかも個人の知のように錯覚してしまうこと、つまり知ってるつもりになることは人類の進歩にとってポジティブな意味があったというわけです。

 ところが、ネット社会になって誰でもが様々な知識にアクセスし発信できるようになったことで「集合知」の状況は変わりつつあります。ネットで得た浅薄であやしい知識を根拠に「知ってるつもり」になってその道のプロみたいなことを言う人が増えています。ネットで調べまくったあとで病院にきて専門家の医師より知識があるような態度をとる患者、アンダーライティングの結果に反論する人々、いますよね。ネットのフェイク気味の集合知が専門知を脅かす時代になってきています。

 故に本書では人間の「集合知」を礼賛すると同時に、ネット時代に「集合知」が「知」のポピュリズムに陥りかねないと警鐘をならしています。レベルの低い集合知による専門知の否定ともいうべき状況の出現です。アンダーライティングの現場でも査定判断をネット情報を根拠に反論されるなど、医者―患者と同じ状況が出現しつつあります。とりあえずの対策として、私は最近は医学的なことはネットではなくできるだけ最新の教科書(特にハリソン内科学)で調べるようにしています。ネットのような誘惑がないせいかかえって効率的ですよ。教科書回帰、おすすめです。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2019年10月)