El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

シュリンクス

精神医療のターニングポイント、DSM革命の高邁な理念(しかし、残念な結果・・・)

 発達障害適応障害など最近よく目にする精神科の診断名はDSMという診断基準に基づいています。DSMとはDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 「精神疾患の診断・統計マニュアル」のことでアメリカ精神医学会が作ったものです。このDSM、1979年に出された第3版でまさに革命的に変わってしまったのです。そして、この1979年を境に精神医学は全く姿を変えてしまいました。そのドラマチックなDSM革命の歴史を日本語で読めるのが本書「Shrinks<シュリンクス>」です。「Shrinks」とは米語で精神科医の隠語らしいです。

この本でDSMの歴史を知りかなりスッキリ理解できました。そしてものごとが努力によってここまでドラスティックに変えられるのかと驚きもしました。一読の価値ありです。

精神(心)の疾患が医学の領域で取り扱われるようになったのは19世紀になってからです。それまでは精神的におかしいと思われる人は家の中に閉じ込められるか収容施設に入れられるという状態でした(あるいは一部は今でも)。そういう中、20世紀になって登場したのがあの精神分析フロイトです。フロイトが、「精神疾患は無意識の葛藤が原因」だと言い出して、精神分析の時代になりました。そして世界大戦の時代、多数のユダヤ精神分析医がドイツを逃れてアメリカに来たことで1950年代にアメリカそして世界中が精神分析の時代に突入しました。

心的葛藤が原因で精神病になる、こういう因果関係のはっきりした話にとらわれやすいのが人間の弱さでしょう。しかし、心理的葛藤というあいまいなもののために精神医学全体があいまいで治療する側の好き勝手にできるものになってしまったのも事実です。昔のアメリカのテレビドラマによく怪しげな心理療法家が出てきましたが、そういう時代です。診断のあいまいさ、ばらつきが次第に問題になってきて、1960-1970年代にそうした精神分析メインの精神医学を糾弾する「反精神医学運動」が起こりました。

そういう危機的な状況の中で登場するのが気鋭の若手精神科医スピッツアーです。スピッツアーが粘り強い努力の末、それまでは精神分析医学寄りであいまいだったDSMをまったく別物に作り変え、抵抗を押し切って第3版として学会で認めさせてしまいました。その剛腕をぜひこの本で読んでみてください。

なるほどと思ったのは、医療保険を提供する保険会社があいまいさの少ないこの新しいDSMを支持しDSM診断を医療保険支払の根拠にしたことが大きかったということです。

日本に本格的にDSM革命が入ってきたのは今世紀になってからでしょうか。日本では、精神科医の激増やガイドライン医療ともあいまってDSM本来の目的から大きく逸脱した医療が横行し、まさにDSMが病人を作り出す時代が来ているという意見も多くみられます。最近ではアメリカでも。便宜のために作った症状による疾患分類が逆に、実際の疾患を規定していくという逆説が起こり始めています。どこまでいっても人間はわかりやすさに弱い。スピッツアーや本書の著者にはそこまでの透徹さが欠けていると感じます。