El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

認知症の人の心の中はどうなっているのか?

治療ではなくケア・共生の視点!

 85歳の母親が認知症と診断されてホームでお世話になっている。記憶ができない・思い出せないがメインで昔の大家族の時代なら家族の中で子供のようにのんびり過ごして死を迎えられるのだろう。核家族の時代になって少人数家族では抱え込めない、独居もできないということで「認知症」と名前を付けて施設暮らし。高齢になってまったく新しい環境に放り込まれる。そのストレスやいかばかりか・・と忸怩たる思いがあった。
本書の著者は、薬をのませたがる精神科医や内科医ではなく、心理学系ということもあり、認知症の人の心はどうなっているのか、その欠落を上手にカバーするにはどう対応したらいいのか、というケアする側、家族の側の心のありようを教えてくれる。読むと気が楽になること多い。読後に、母のところに出かけて、話をしてみたくなる。

「他者には自分と異なる心があることがわからなくなる(心の理論)」「認知症は、自己と他者のアイデンティティをめぐる闘い」「明日がどうなるかわからない苦しみ」などなど、示唆に富む。

逆説的に、人間の自己アイデンティティの多くが記憶に依存していることに気づかされる。記憶が欠落していけばアイデンティティが壊れていくのか・・・と最後は我が身を危ぶむことに。