目の付け所はさすがの柄谷先生
前半は①柳田国男やジャレド・ダイアモンド、の読みの中から見出される「歴史の実験」という方法論、②それを民俗学的に日本にあてはめて得られる日本的なるものの正体(普通選挙のダメさ、神道のずれ、私小説化する自然主義文学など)。
後半は③遊動民(山人)の歴史的考察から(なぜかゾミアは触れられていない)、④トッドを援用しながらの母系制・父系制・双系制といった分析から、なぜ日本は「する」ではなく「なる」社会なのか、とレベルの高い歴史エッセー。
岩波新書ということである程度の起承転結を期待して読み始めたが、いろいろな連載などを集めたせいか、焦点は定まらないので、エッセーだと思って読むと落ち着く。柄谷先生も喜寿ですか。読んで書く、その姿勢は勉強になります。