El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

「村 百姓たちの近世」〈シリーズ 日本近世史 2〉

統治体系が整備されて農村に余裕が生まれた

 高度成長期の人口移動期まで続く日本の農村の発生過程がよくわかる。環境によって多様ではあるものの、完全に幕藩体制の中に組み込まれたという感じはある。島国だけにゾミア的無名者になるのは例外的なのだろう。一方で高度成長期に税金捕捉率で9・6・4などといわれたことを考えると、実際の収穫(収入)のうち半分くらいはさまざまに年貢の抜け道があったというか、抜け道をおりこんだ年貢率だったのだろう。

「はじめに」と「おわりに」に幕末期の来日スウェーデン人ツュンベリーの言葉が引用されている。「おわりに」のほうがこの一冊のまとめともいえるだろう。

「日本の農業に十分な余裕があるのは、たった一人の主人、すなわち藩主に仕えるだけでよいからである。(スウェーデンのように)国の役人、徴税官、地方執政官、警察等々という何名もの人間によって支配されることはない。(中略)農民は、自分の土地の耕作に全力を投入し、全時間をかけることができ、妻子はそれを手伝う。その結果、この国の人口密度は非常に高く、人口は豊かで、そして夥しい数の国民に難なく食料を供給しているのである。」

外部者の眼は時に明晰である。