El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(24)腹くう鏡手術の黒歴史

 ——腹くう鏡手術の黒歴史——

大学病院の奈落

大学病院の奈落

 

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新の知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています。査定歴21年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは腹くう鏡手術。2014年に起こった「群馬大学病院腹くう鏡的肝切除連続死亡事件」のドキュメンタリー「大学病院の奈落」をとりあげます。

「大学病院の奈落」というタイトルからは、一方的な医療糾弾モノではないか・・と思って読み始めました。しかし、期待は良い意味で裏切られ一気に読んでしまいました。外科出身のわたしにとっては耳に痛いこともたくさん書かれていました。非医療者である新聞記者が、ここまで調べつくして、また事件の本質のみならず、その背景にある日本の医師(特に外科医)のメンタリティの問題点までも描き出しているのは見事です。抑制のきいた調査報道で淡々と事実が述べられていますが、それがかえって鮮明な印象を残してくれます。

おヘソの近くに小さな穴を開け、そこから挿入したカメラの画像を見ながら、別に開けた穴から入れた手術道具で胆のう摘出手術やってしまう・・という腹くう鏡下胆のう摘出術が始まったのは30年位前でしょう。わたしも臨床時代にやってました。それから30年の間に、胃や大腸さらには肝臓・膵臓と対象臓器が広がっていって、「どんなもんだい、こんなことまで腹くう鏡でできたぜ!」というブームが確かにありました。そしてブームのかげでかなり無茶なことが繰り広げられているのでは・・とみんなうすうす感じていたのです。

無茶でも結果オーライですませていた、というのがこの事件以前の状態でしょう。保険適応外の腹くう鏡・内視鏡手術を、開腹術と偽って(あるいは小さな穴を開けるので開腹だと強弁して)保険請求することを医師も厚労省も「なんとなく」容認、この「なんとなく」がどんどん拡大するのは世の常。

ここからはわたしの想像ですが、そんな状態の中に、あまり外科医としての適性のない外科医が登場。通常、適性のない外科医は、それこそなんとなく淘汰されるものなのですが、群大外科では組織の統制力がなくなっていたのでしょうか?はたまた、腹くう鏡手術そのものに術者のうまいへたがわかりにくい性質もあるのでしょうか?その外科医がバンバン腹くう鏡的肝切除をする事態に・・・。恐ろしい。

亡くなった患者さんの多くが進行がんであったり、残存肝機能がとぼしかったりと、そもそも手術適応があったのかということも取り上げられています。臨床時代に進行癌でも万が一つでも切除可能性があればと、患者さんを説得して強引に手術をすすめていた自分と重なる部分もあります。外科医の武勇伝的なメンタリティー、確かにありました。まさに他人事ではない話です。

本書の著者は読売新聞医療部の女性記者で、一連の群大病院スクープ記事で2015年度新聞協会賞を受賞。医療、特に腹くう鏡外科の裏側や大学医学部の中・大学同士での権力闘争などなど充実した内容は読み応え充分です。

人には、やはり適性というものがあります。資格と適性がかならずしもマッチしない場合も多い。適性のない職業につくことは本人も大変ですが、医師だと人の命にかかわります。アンダーライターであれば危険差益に大きな影響も・・・。

「医を学ぶ者、もし生まれつき鈍にして、その才なくんばみづから知りて早くやめて、医となるべからず(貝原益軒 養生訓から)」(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2018年6月)