El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

階段を下りる女

老年版キミスイ

1968年をピークとした政治の時代の主役であった若者たち(ベビーブーマー)が70代になるにしたがって、彼らの世代が書く小説も次第に老年の趣を帯びてきている。シュリンクは1944年生まれ。「朗読者」のときは50歳くらいだった。「階段を下りる女」は70歳のときの作品。それなりに年寄りくさい話になるのはしかたないのか。

20代の恋とも言えないような出会いが、「階段を下りる女」という絵を媒体に40年後、登場人物もみな40年分歳をとって、よみがえる。その40年の間にベルリンの壁の崩壊や東西ドイツの統一があった。そういう背景は語られないわけではないが、あっさりしすぎていて時間のリアリティが乏しい。

登場人物も40年たっても驚くほど老成しない。40年前と同じように青年じみている。膵臓がんによる女性の死の描写、前後の出来事も・・もっと無常観がただよってもよさそうなものだと感じる。

読み手とともに作家も歳をとり若い頃の作品にあった輝きが失われていく場合もあるだろう。若い作家の若い魂に触れる読書のほうがいいのかもしれないとも思う・・・とここまで書いて、本書が文学風味付けがされたキミスイではないか・・と気付き・・・おどろく。