——極私的、思い出のヒーロー——
気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新の医学知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴20年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回は、ほとんど個人的な思い出話で恐縮ですが、「移植医たち」です。
平成も残り1年ちょっとということになりました。妻からは「昭和の夫」と揶揄されることの多い私ですが計算してみると昭和を31年間、平成を31年間生きることになり、きっかり50%の昭和の夫です。昭和といえばその終わり頃、私が医学部を卒業した時分は、臓器移植ブームの時代でした。「外科医になるなら移植医を目指すべし!」そんな時代です。昨年の夏、その頃をノスタルジックに思い出すことができる谷村志穂さんの小説「移植医たち」が刊行されました。
「移植医たち」は日本の肝臓移植医療のスタート地点(と言っても30年くらい前)からの物語。大学名や個人名は架空のものになっていますが、小説の主人公である「佐竹山教授」こそは、私が医師になったとき最初の指導医だった「T先生」がモデルです。T先生が日本に見切り(?)をつけて肝移植のメッカ、ピッツバーグのスターツル教授のところに行ったのが1985年、38歳の頃です。私はたぶん先生の指導を受けた最後の研修医です。その後、先生はアメリカでも超人的ながんばりで「神の手」と呼ばれるまでになります。そのがんばりのすごさはぜひ「移植医たち」を読んでください。私はいろいろフラッシュバックして感涙してしまいました。
T先生、今70歳ですか。その生きざまは、「大学医局を飛び出してアメリカで教授に」という絵に描いたような成功、それでもアメリカでの地位をなげうって日本の移植医療のために帰国、ところが、開拓者魂を発揮できると思った北大では日本的な嫉妬と陰謀とマスコミに翻弄され、歳月はながれ移植医としてリタイアの年齢へ。たとえ、どんなにパワフルであったとしても一人一人の人生は、時代の流れの中でこのように消費され埋没していくものなのでしょうか。
本書23ページから・・「佐竹山(≒T先生)は、新人を捕まえるとペアを組み、深夜までかかって治験のデータ収集を続けた。夜が遅くとも、翌朝6時半には出勤する。・・・ペアになった新人は次々体調を崩し、中には吐血や下血の症状を訴える者まで現れ、佐竹山(≒T先生)は、大学ではもはや変人扱いだった。」—ここに出てくる「新人」はまさに35年前の私のことです(吐血や下血はフィクションです)。
脳死移植法の成立(1997)・改正(2010)などのたびにマスコミが騒ぎ、センセーショナルだった移植医療。30年経った今、脳死移植で年間300例ほど行われています(腎104・肝57・心44・肺45・膵35;2015年)。意外に多いという気もします。ある程度確立した医療になったということでしょうし、移植医療のニーズは日本ではこのくらいだったということなのかもしれません。日本保険医学会でも1994年には総会のシンポジウムテーマとして取り上げるくらい話題性がありましたが・・・「ドラマチックでめったにない出来事は大局的には生命保険には影響しない」の好事例になりました。
移植・・・その派手なパフォーマンスに憧れたあの頃、そこに飛び込んだ人生(と飛び込めなかった私)。「移植医たち」は、私の知らないT先生の35年間を想像させ、自分が選ばなかった人生を疑似体験できる小説でした。T先生、もう会うこともないかもしれませんが・・お元気で。 You are my hero, forever ・・・(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2018年2月)