El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

変容

「終わった人」になるよりは「変容」したい

平成30年、超高齢社会で今度は健康寿命なんていう言葉がハバをきかせている。

「変容」が単行本で発行されたのは1968年(おお、あの激動の1968年)で、そのころはきっと寿命が伸び始めていて寿命が性的寿命を超えてしまったころだったのだろう。そうなると健康寿命ならぬ性的寿命が尽きる前後の男女の諸相が描かれるようになったとのではないか。しかし、一方で、主人公の妻は若くして結核で死んでいるなど前近代の寿命感もあり、妻の死あってこその話でもある。

今はなかなか死にはしないのでエゴを抱えたまま夫婦ともども性的寿命が終わってしまい「終わった人」なんて呼ばれてしまう。品のない「終わった人」になるよりは、主人公が最後に語るパラグラフのような男女関係を築けるような初老の男に「変容」することはできぬものか・・妻には「男のエゴ」で片付けられそうだが・・

以下、最後のパラグラフを引用・・・「共通の過去を持ち、何でも話し合い、何でもすることができて、しかも、いつでも他人でいられる男と女って、まれにしかあるものでない。これから先僕は、ときどき寂しくなると君に逢いたくなるにちがいない。どうぞお願いだから、そういうとき僕にやさしくして下さい。」私がそう言うと、彼女は白い象のような顔で、にこにこと目の下に皺を作って微笑み、おませな少年の話を聞く女校長のように、自信ありげにこくりこくりとうなずいて見せた。・・・