El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

瞬間を生きる哲学

 わかるが、わかって当たり前

瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)

瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)

  • 作者:古東 哲明
  • 発売日: 2011/03/16
  • メディア: 単行本
 

 古東哲明「瞬間を生きる哲学 <今ここに佇む技法>」(筑摩選書)を読了。膝をうった・・・と感想を書きたいところだが腰砕けだった。

いくつか読んでいる間のメモを書き写しておく。

「食事の写真を撮るのはなぜ?食べる現在(いま)より食べた過去を懐かしむ未来のため?」「このショットはこのホールのためにあり、このラウンドはこのラウンドのためにある」「Convivial」「今ある現実Aを生きている私は、Aに没頭して生きているそのときにAを生きている自分自身を客観的に感じることはできない」「録画で過去の旅を追体験している時などは過去を現在に持ってきているような気になる。ライフログ的なテクノロジーの進歩を考慮に入れなくていいのか?」「鈴木重子さん・・私は毎日、明日のために生きていた。明日の試験のために勉強する。明日の何かのためにこれをやる。でも先生たちは、いま音楽をやっているのが幸せと言っておられた。その違いって大きい。こんなに充実して、こんなに生き生きしている人がいるとは思っても見なかった。それまで私は、今日やりたいことをやって、明日どうするんだろうって思ってたんですよ。今日やりたいことをやるとハッピーだから、明日もやりたいことができるっていう循環について考えたことがなかったんですね。」「今この現在のこの一瞬を誠実に丁寧に味わって生きてみるとふしぎなことがおこる。ゆたかな明日も充実した来年も、ちゃんとついてくる・・・」etc.