El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 「戦争」に嵌った、嵌められた・・・が正しい。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)
 

 満州事変あたりまでは勝っている戦争が多いこともあり、不平等条約からの脱出むけて刻苦勉励戦争する日本の姿はいじらしい。イコール富国強兵ということ。軍部の台頭、暗殺圧力による政党政治の崩壊、世界恐慌による貧困と国民の軍部支持あたりの流れ、日中戦争では胡適の「日本切腹、中国介錯論」など、中高生とやりとりしながらなかなか勉強させてもらった。最後の太平洋戦争の部分は著者の専門外なのか不明瞭だった。

太平洋の開戦は日本人が「選んだ」というより、陸軍も海軍も「やりたくない」「やれない」とわかっていながら、いまさら自分から非戦を、兵隊に、国民に、メディアに言い出せなくて、ずぶずぶと嵌りこむ様に戦争を始めた・・・そういうNHKスペシャルがあって、その状況がすごく腑に落ちた。自ら重大決定をすることで自分が責任をかぶること恐れて、明確な政策を示せない昨今の政府の状態とまったくのアナロジー。「陸軍がやれないと言ってくれれば」「いや、それは海軍から言ってくれなければ」、とセクトの利益を優先しているうちに、全体としてとんでもない不利益をこうむる、きわめて日本人らしいところが描かれていない。最後のぎりぎりの決断の情けなさが日本的すぎる肝なのでふれてほしかった。決して、「戦争」を選んだわけではなく、嵌ったのだと思う。

まあ、左派的と批判されるのもわかるが、中高生への「歴史学」の授業としてはなかなかのものでは、高校生に息子に勧めることにした。