El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

モラル・ハラスメント

人間関係ってもっと複雑なのでは・・・?

たぶん人間関係になんらかの悩みを抱えている人はこの本を読めば「あ、私のことが書いてある。私はモラハラの被害者だったんだ。」と思うのではないだろうか。ところが、「自分が加害者である場合もあったのではないか・・・」と考えると、人間関係そのものがもつ複雑さを無視して、相手を「異常者」「変質者」と言い切り、自分の置かれた状況を「モラハラ」とノミネートすることで処理してしまうことは危険ではないかしら。人間関係の深みをすっぱりと切り落としてモラハラで類型化することこそが人間関係の平板化、相互理解の困難さを生み出すのではないかと心配になる。

 この本に書かれている事例を、加害者とされている側の目線で書き直せば、いきなり加害者と被害者が入れ替わりうる。職場の事例でも被害者目線ではモラハラでも周囲の目線では被害者側の適応障害と言い換えられるものが多い。まあ、そういう言い換えについても触れられてはいるけれど多くの読者は被害者目線でしか読まないだろう。

 人間関係ってもっと複雑なのでは・・・?

 自分を被害者と仮想することで楽になれるというのは分かるが真の解決にはならないのではないでしょうか。人間関係がうまくいかないときに、こういう見方もあるということを相手(パートナー)と共に考え話し合うことで関係改善するという材料にはなるかもしれないけれど。