El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ドン・キホーテ 全6巻 (その2)

 夏休みの宿題のように読んだ・・・

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

 

朝の電車から「ドン・キホーテ」を読み始める。牛島訳は読みやすくすいすいと話しが進んでいく。娯楽と諧謔。ビルドゥングロマンスのような感動はないかもしれないがとにかく「ドン・キホーテ」「神曲」」「ファウスト」くらいは読んだことがある人になりたい。(20040811)

ドン・キホーテ」を読む。だんだんその世界にはいっていく。メタ小説なのだが、その中の挿話にまた挿話がはいりこみ、それぞれの挿話が面白く半端ではない。どうやって書いたのか、まず挿話がありそのアレンジのベースとしてドン・キホーテの旅があるというふうに読める。(20040817)

ドン・キホーテ」「神曲」「ファウスト」をテーマに挙げていたが結局休暇中に到達したのはドン・キホーテ6分冊のうちの4冊までだった。おもしろくないというわけでもないのだが「寝食忘れて読む」というタイプの本でもないことが影響している。セルバンテスは1600年頃の人。シェイクスピアとほぼ同年だ。全部読んで感想を書いてみたい。8月中には読了する。(20040822)

ドン・キホーテ」に関する途中の感想文。例えば、「奥の細道」に話の筋はない。芭蕉曽良が旅するだけである。途中で一句読むのは旅をするという行動的筋書きからは離れている。しかし、読まれた一句こそが奥の細道の本質になっている。同様の構造が「ドン・キホーテ」にもある。そこにあるすべての挿話こそが奥のほそ道におけるそれぞれの句にあたる。だからいかにその挿話を楽しむことができるかが「ドン・キホーテ」を楽しむ方法ということになる。(20040827)

ドン・キホーテ」は大詰めにきている。明日には読了するだろう。次の本に移れることがうれしい、ということはすこし退屈していたのかもしれない。(20040901)

岩波文庫の「ドン・キホーテ」をPDF化していたら2004年に読了したときの感想が書いてあった。わかって書いてるのか自分?という気になる。自己痕跡本もまた楽し。(20190106)

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