我もまたアルカディアに
全三巻読了。抜書きのまとめをここに。
(上巻)
- ゲーテはナポレオン、ベートーベンと同時代人であり革命の世紀を生きたこと。イタリア紀行は1786年からでありフランス革命前夜であること。ゲーテ37歳のときの旅であるが出版は30年後であり出版時には多くの革命が終わっていたこと。
- 「我もまたアルカディアにあり」後半にアルカディアクラブの話が出てきて俗っぽくておもしろい。
- 「ある画家の絵を自分の心に印象させると、その画家の眼を通して世界を見ることができる」
- 「しかし芸術は人生と同じく、深く入り込めば入り込むほど廣くなるものである」
- 「人間は一つのことばかりに拘泥していてはいけません。そうすると、誰でも気が変になるのです。我々はいろいろのことを雑然として頭に持っていなければなりません。」
- 「ふたたび一人になった幸福をしみじみと味わった。」
(中巻)
- 「互いに近くにいるときはかえって顔をあわせないほうが最も自然な状態であるという場合はよくある。」
- 「日課にしている「オデュッセウス」の一節を読んで」
- 「われわれ近代人はどうしてこんなに気が散り、到達することも実行することもできない要求に刺激されるのであろう。」
- 「人間が互いに相手に対して期待していることを相互に表明するならば多分もっと多くの感謝と利益とを人生から獲得することができるのであろう。」
- 「総じて各人は、自己を他のすべての人間の補足として考えるべきであり、かつかくのごとき態度をとる場合に、人間は最も有為にして愛すべきものとなるのが事実であるならば、このことは旅行記や旅行者にこそ当て嵌まらねばならない。」
(下巻)
- 「われわれは完成した人物に対しては同じ快感をもって対することができない。」
- 「私は永続的な関係を有しているものにのみ関わりたく」
他にも旅行期中に多くのアフォリズムがちりばめられている。紀行であるからそうそうストーリー性はなく、ある程度の描写とときおりあらわれるゲーテ独特のアフォリズム。
学ぶべきは、こうした旅の間にも着々と本来の仕事もおこなっているということ。そしてこの紀行も書いている。ということはそうとうの時間を書くことに費やしているはずである。メカニカルに書く習慣、これこそまったく必要なものだ。
いったんはゲーテから解放。ファウストを読んでからウイルヘルムマイスターを読んでみたいが訳文からどれを選ぶか。イタリア紀行はちょっと疲れた。