El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

安部公房とわたし

時の流れがすべてを恩讐の彼方に

ヤマザキマリさんの「壁とともに生きる わたしと『安部公房』」を読んだ流れで、2013年の出版されたころに読んだことのある山口果林「安部公房とわたし」を通読。

年齢関係を意識して読んだ。山口果林の20代のヘアヌード写真が収載されているので、若い娘が有名作家を・・・という受け止めになりやすいが、年齢を考えるとそうでもなく、山口果林も多くの犠牲を払っていたと思う。

著者の山口果林は1947年生まれの現在75歳(本書単行本刊行時66歳)、18歳のときに安部公房と出会い、22歳くらいから48歳、安部公房が亡くなるまで、特に安部公房が家を出た後の15年間の安部公房の創作の多くを支えたことになる。

20代から50歳近くまで引っ張られた。若いときは自分の女優生命のために、後半は安部公房がノーベル賞候補だからといって、関係をおおやけにすることもできず、そろそろ安部公房の離婚が見えてきたところでの安部公房の死。その二週間後には山口果林自身の母親も亡くなっている。また、安部の妻・真知もその年のうちに死去。

安部公房と山口果林の関係が世間にしれたのは安部が山口果林のマンションで倒れて救急車で運ばれ死亡したから。いくらかのバッシング報道もあり、山口果林にとっては50歳を目の前にしてなんとも無残なことになったわけだが、山口果林が切り替えて女優としてやっていけたから食べていけた。結構パワフル。

この本も主役は山口果林自身であり、山口果林の自伝と言ったほうがいい。たまたまパートナーが安部公房だった。その後のさばさばした女の強さも素敵だ。

ちなみに、安部公房の全集を編纂したり評伝を書いた安部公房の娘ねり(医師)も2018年に死去している。時が流れ、恩讐は彼方へと過ぎ去っていく。

  山口果林(1947- 現在75歳)
  安部公房(1924-1993 享年68)
  安部真知(妻 1926-1993 享年67)
  安部ねり(娘 1954-2018 享年64)

壁とともに生きる わたしと「安部公房」

いま、安部公房を読み直したいと思えるか?

テルマエ・ロマエのヤマザキマリさんによる安部公房のブックガイド。異色の組み合わせとも思えるが、世界を放浪してきたヤマザキマリさんにとって安部公房作品はこころのよりどころだったらしい。

ヤマザキマリさん自身の人生の困難さか重ね合わせるように「砂の女」「壁」「飢餓同盟」「けものたちは故郷をめざす」「他人の顔」「方舟さくら丸」の5作品が紹介されている。個人と集団、民主主義と独裁、日本的社会、自由と孤独・・・など、戦後からバブル期に書かれた安部公房の小説群のテーマが、バブル崩壊・失われた20(30)年、コロナ、オリンピック、ウクライナという今日的テーマとシンクロしている。安部公房の戦中・戦後と現代の相似性ということなのか。

ただし、今この本を読んで安部公房の作品を読むかと言われると微妙。時代を超えて通底するテーマは確かにあるだろうが、バブル後、ソ連解体、ネット社会、コロナと、安部公房の小説を超えた出来事の連鎖の果てにいる現在の私にとっては、安部公房も、どうしてもあの時代の作家たちの一人にすぎないいう気もするから。

また、意図的なのか、山口果林のことに触れていない。参考文献としては挙げてあるが・・・

 

双調平家物語(7) 乱の巻

平安末期の「おっさんずラブ」

上皇のいる院と帝のいる朝廷。力を持つのが院であるがゆえにルーズな人事が横行し、閑院流藤原氏や六条流藤原氏といった傍流の藤原氏が院の近臣として力を持つ。その頂点が六条流藤原得子(=美福門院)なのだが、そうなるまでの原動力としての閑院流や六条流の男たちの「男色」合戦がリアルに描かれる。

朝廷側の権力を握る摂関家藤原氏もまた、忠通と頼長兄弟のライバル関係に美福門院や鳥羽院さらにはあっという間に譲位した崇徳院との思惑がからまって、もはやすべてが調整不能な利害の衝突直前。

そんな中でも男色、ほんとうに盛んなんですね「おっさんずラブ」。後半半分は「おっさんずラブ」だらけ。堅物そうな頼長の〇〇ハラめいた「おっさんずラブ」、3P「おっさんずラブ」、親子どんぶり「おっさんずラブ」。

摂関政治からの脱却に一役買った「院政」だが、良王が続出するというわけもなく、継代していくと矛盾とほころびが目立つようになり、いよいよ激突の次巻へ。

EXTRA LIFE なぜ100年間で寿命が54年も延びたのか

もっと読まれていい、具体的な寿命延長史!

寿命の延び(=ゼロ歳の平均余命の延び)は乳幼児死亡率の劇的減少(20%→1-2%)で起こった。20世紀の前半まで子供の何割かが大人になる前に死んでいた。その子供たちがほぼ成人になり生殖して子供を作る、この部分で人口爆発が起こった。本書はこの事実をメインに据えながら、それをもたらした、あるいは補完したイノベーションを8つ取り上げる。

第1章  平均寿命の測定ーそもそも原初、寿命はなぜ短かったのか、それを記録し平均寿命という概念ができる。そこから平均寿命の差は乳幼児死亡率の差であることがわかる。

第2章  人痘接種とワクチンー乳幼児はなぜ死んだのか。これは端的に感染症が原因だ。特に天然痘が重大な死因だった時代は長く続いた。中国やインドで行われていた人痘接種をメアリー・モンタスキューがイギリスに持ち帰り、それがジェンナーの牛痘につながり1979年の根絶宣言に到る。

第3章  データと疫学ー工業化し人口密集した都会でのコレラなど不衛生に由来する感染症を細菌学以前の社会で激減させたのは発生のデータと疫学。ジョン・スノウの井戸汚染の発見から上下水道の分離につながる。

第4章  低温殺菌と塩素殺菌ー都市化にともなう牛乳の産業化と汚染牛乳死。天然牛乳信奉を打破する啓蒙と低温殺菌法の義務化。飲料水の塩素消毒。

第5章  薬の規制と治験ー法規制がなかった製薬産業のせいで薬剤死が頻発。1950年頃まで野放し。サリドマイド事件(アメリカはFDAの厳格さで救われる)後に、薬剤の安全性、さらには効能を証明する義務を制度化、その手段としてのランダム化比較試験(RCT)の定着。

第6章  抗生物質ーフレミングの発見からフローリーとチェーンによる実用化。第二次世界大戦の戦略物質となり米英の勝因の一つにも。

第7章  自動車と労働の安全ー自動車事故死が普通に起こっていた時代(ジェームス・ディーンや赤木圭一郎の時代)、鉄道労働者の事故死。ボルボが三点式シートベルトの特許を開放し自動車事故死は75%減少。安全社会へ。

第8章  飢饉の減少ー1940年頃の大飢餓時代。土壌の窒素循環への気づき、鳥糞や魚肥の時代を経て、1908年のフリッツ・ハーバーが発見した窒素固定法から化学肥料による農業の大増産。タンパク源は1920年代、偶然にはじまったブロイラー農業による鶏肉の時代。

著者によるまとめでは

数十億人の命を救ったイノベーション

 化学肥料・トイレ/下水・種痘とワクチン

数億人の命を救ったイノベーション

 抗生物質・二股針(種痘の普及)・輸血・塩素消毒・低温殺菌

数百万人の命を救ったイノベーション

 エイズカクテル療法・麻酔・血管形成術・抗マラリア薬・CPR(心肺蘇生)・インシュリン・人工透析・経口補水療法・ペースメーカー・放射線医学・冷蔵・シートベルト

しかし、よかれと思い進んできた寿命の延長の果てにある、人口爆発とそれにともなう気候変動、地域紛争。そもそも、人間になるまでの遺伝的進化の結果が20%の乳幼児死亡率を織り込んだ狩猟採集生活であったとすれば、乳幼児死亡の激減と定住化農業・商業・工業がもたらした超長寿の現在の高齢者が求めるものが、狩猟生活時代では当たり前だったピンピンコロリだという矛盾。なかなか考えさせる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか 進化が生んだ怪物

「がん遺伝子パネル検査」もしょせんは商業主義・・

著者のキャット・アーニーはイギリスのがん研究基金「キャンサー・リサーチUK」の科学コミュニケーション部門で12年間働いたのちサイエンス・ライターとして独立した女性。がんについての知識と人脈が豊富で、そのキャリアが本書を生んだ。

難解ながん研究の最前線を一般人にわかりやすく、というとシッダールタ・ムカジーの「がんー4000年の歴史」(2013年発刊・2016年文庫化)がよく読まれているが、いかんせん10年経ち、この10年間にこの分野ではさまざまなことがあったことを考えるとやはり古い。

一方、本書の原著は2020年発刊で引用文献などからみて2019年までの出来事が織り込まれている。現時点でがん研究の最前線のここまでの情報が一般書で読め、その目くばせの範囲を考えると医学書よりも優れたものになっていることは驚き。

この10年間でがん研究と治療での最大の出来事の一つは「がんゲノム医療」の登場だろう。それは、次世代シークエンサーの普及とがんに対する分子標的薬の開発がもたらした。具体的には、2015年に当時のオバマ大統領が一般教書演説で「Precision Medicine」と言い出し、それが日本では「個別化医療」と訳され、具体的には「がんの原因となっている遺伝子異常をターゲットとしたがんゲノム医療」の流れとなって行った。

それは日本でも2019年に「がん遺伝子パネル検査」となってコロナ前の医学界ではある意味目玉商品みたいな扱いだった。それから3年経ったが、何だか忘れられようとしているようなーコロナのせい?という印象だった。

ところが本書を読むと、すでに2012年には人体の中のがんはがんになった後もさまざまに遺伝子変異を起こしておりいわばがんとして進化していることがわかっていた。つまり、がんの遺伝子プロフィールは動的で、がんは遺伝子的に異なる細胞集団のパッチワークのようなものなのだ。

そうなると、がん組織を摘出し標本としてすりつぶして遺伝子パネル検査をしてみたところで、それは摘出した時期と部位(すりつぶせばみんな混じってしまうが)によって結果がちがってくる。そんなわけで同じがんの遺伝子パネル検査を二つの検査機関に出したら結果と推奨する抗がん剤がちがっていたという笑えないエピソードも。

肺がんの抗がん剤治療で最初は効果があっても次第に効かなくなって再発してくることはわかっていたのだが、何となく遺伝子プロフィールがAからBへとドラスティックに変わったような理解をしていた。そうではなくて、多数の遺伝子変異のパッチワークのうち目立つものをたたけば、たたかれなかった変異をもつがん細胞がのし上がってくるという、抗生物質と耐性菌みたいな関係だったということ。

そもそも、美容整形(まぶたの切除)で得られた皮膚の遺伝子を調べると、そこにはがん遺伝子を含むさまざまな遺伝子変異がすでに蓄積しているらしい。生れ落ちてから遺伝子は変異や修復や修復エラーなどさまざまに変化しながらなんとかかんとか生き続けている。いや、むしろ、その変化こそが人間が人間に進化した原動力でもあった。

そんな中で、増殖し続けるという変異が実体化した場合をがんと呼んでるだけのことなのだ。と、この本を読んで自分の中ではパラダイム・チェンジしましたね。勉強になりました。

「がん遺伝子パネル検査」や超高価な「分子標的薬」の商業主義に踊らされていた部分もあるのだろうな。

(以下は出版社情報) 続きを読む

ドイツ・ナショナリズム

エキセントリックな研究者の自己満足!?

かなり独特のわかりにくい文章で辟易した。結局言いたことは「おわりに」と「後記」に書かれている程度のこと。どんな義理で出版することになったのかはしらないが中公新書の編集部にも責はあると思う。

なんなんだこの人?と思って検索していくと著者のマックス・ウェーバーについての既出版物に対する論評が見つかった。本書で私もこの論評者とまったく同じ感想を持ったので参照しておきたい。

(引用)以上、総じていえば、今野書は、その自負の大きさにもかかわらず、得意なはずの史実の発掘という点でも先行のマリアンネ『伝』およびモムゼン『伝』を大きく超えるものとはいえず、また、その史実、つまりウェーバーの政治的発言・政治思想の「分析」・解釈という点では、結局皮相で突っ込み不足が目立ち、しばしば一面的な解釈に陥っている。(引用終わり)

 

双調平家物語(6) 保元の巻(承前)

暴君・白河帝の長命の末に武者の世へ

一冊丸々「白河天皇(上皇)」。白河天皇は在位1072-1086、譲位して白河上皇となって院政は1086-1129、やりたい放題の57年間。乱脈という意味では、日本史上最大の暴君。藤原氏を、源氏を、平家をいいようにあしらいながら、自らは男色・女色、人妻であろうが、孫の嫁であろうが、荒淫。その荒淫のために奔走する藤原氏の各流、源氏の各流、平氏。

白河の青年期、壮年期、老齢期・・・それぞれの時代に対応する藤原氏、源氏、平氏は世代交代していく中で、77歳という長命であった白河の乱脈が多くの対立軸を生んでしまい、それはその後の鳥羽院政期(1129-1156)の末期に破裂して保元の乱・そして平治の乱となっていく。

摂関政治の終わりと武士の世の始まりをつなぐ100年間。いよいよ、二つの乱をへてタイトルである「平家物語」へと進んでいく。

また、中盤には前九年・後三年の役もきちんと織り込んで、関東の平氏と都に残った平氏の分離、勲功のわりに冷遇されていく源氏などもしっかり描かれて間然とするところなし。名著。