El librero la Fontana

El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚「人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ 」(アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

ブックガイド(94)―クスリをめぐる現代史―

 

 

気楽に読める一般向けの本で、アンダーライティングに役立つ最新知識をゲットしよう。そんなコンセプトでブックガイドしています、査定歴24年の自称査定職人ドクター・ホンタナ(ペンネーム)です。今回のテーマは「ジェネリック薬」。今回とりあげた「ジェネリック―それは新薬と同じなのか」を読めばジェネリック薬の歴史だけでなく、近代薬剤の歴史のすべてが見えてきます。


工業的に合成された薬剤が治療薬として使われるようになったのは20世紀なってからです。そうした薬剤には最初から命名ルールがあるわけもなく、例えばバイエル社の解熱鎮痛剤のアセチルサリチル酸(一般名)はアスピリンという商標名で呼ばれるようになり、いつのまにかアスピリンが一般名になる・・・というような時代ですが、もちろん化合物としての特許制度はありました。


1960年代に入るとそうした薬剤の特許が切れる時代が到来します。そうすると化合物としての一般名は同じですが先発薬(ブランド薬)とは違う商標名のジェネリック薬が登場してきます。ジェネリック=「一般名」という意味です。ジェネリック薬が登場したころはブランド薬との同等性について議論があり、ブランド薬企業は当然、同等性の無さを証明しようとし、ジェネリック薬企業は同等性を証明しようとし、双方さまざまな政治的活動が繰り広げられました。


ジェネリック薬にとって大きな節目になったのはレーガノミクスの時代1984年の「ハッチ―ワクスマン法」(薬価競争及び特許期間回復法)ですから意外と最近です。これは、ジェネリック企業には簡略申請でジェネリック医薬品の市場を拡大する道をひらくと同時に、先発薬企業には特許期間延長によって新薬市場を保護することで、先発品企業と後発品企業それぞれに利益を与えてバランスを取り、全体として米国の医薬品産業の発展を促進しようとするものです。このハッチ―ワックスマン法以来、ジェネリック医薬品の承認に必須要件であった治験データが不要となったのでジェネリックメーカーは莫大な治験経費を投ずることなくジェネリック薬を安価で市場に送りだすことができるようになりました。このジェネリック薬の簡略承認方式が日本を含めこの後の世界標準となっていきます。


21世紀になりジェネリック製薬会社もグローバル化しブラジル・インドと軸足を移し、これらの国で作られた薬剤が先進国に逆流入し、国ごとの品質管理の杜撰さや公的規制の違いもあって再び薬剤としての「同等性の危機」が叫ばれているのが現在です。


処方薬全体に占めるジェネリック薬の比率はアメリカが92%、欧州諸国の70~80%であるのに比べ日本は20~30ポイント低いんですね。そこで2017年から政府の掛け声でジェネリックの比率目標80%を設定し、処方や調剤に占めるジェネリック薬比率によって処方料や調剤料を変える作戦にでました。医師はいわゆる商標名ではなく成分名処方をし、薬局で患者(=消費者)がブランド薬にするのかジェネリック薬にするのかを選ぶというパターンが増えています。調剤薬局ジェネリック薬を勧められるのはそういう仕組みからなのですが、患者さんに選ぶだけの知識があるはずもなく、薬剤師もそのやり取りに微妙なものを感じているのではないでしょうか。


国内でジェネリック薬を売っている側にも、胸をはって先発品と同じとは言えないような出来事が増えています。2020年にはジェネリック薬の製造過程で他の薬剤が混入し死者が出るという事件がありました。また2021年になって大手のジェネリック薬メーカーが長年の製造不正で営業停止になったりするなど、さまざまな問題が発生しています。


21世紀になり時代は抗体医薬などの高分子標的薬の時代になり、その後発薬はジェネリックではなくバイオシミラーと呼ばれています。そしてバイオシミラーにもまた新たな「同等性の危機」が出現しつつあるのです。多くのプレーヤーがいてわかりにくい薬剤の世界ですが、ジェネリック薬を中心においたこの本を一冊読んでみてかなりクリアに理解できました。おすすめです。(査定職人 ホンタナ Dr. Fontana 2021年7月)。

あたらしい皮膚科学 第3版

 これしかない!という皮膚科の教科書

教科書の中には、読者がすぐに「著者は独自の境地に達している」とわかる名著がときどきある。そんな教科書の代表格である清水宏先生の「あたらしい皮膚科学 第3版」、職場に古い版があるのだが在宅で皮膚科のことを調べる機会が増えてきたので最新版を購入した。とにかく写真が豊富(関係医局員のみなさんの苦労がしのばれます)で、眺めているだけでも(病変なので楽しいとはかぎらないが)興味深い。

残念なことに2020年に定年退官された清水宏先生は今年(2021年)2月にお亡くなりになったとのこと。退官後も前向きなところが発揮されたホームページ皮膚科医 清水宏 オフィシャルサイト (shimizuderm.com) をみると、無常を感じますね。

ドクター・ホンタナの薬剤師の本棚(12)

ジェネリック薬の歴史を書籍で学ぶ

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続・薬剤師の本棚 最終回!

薬剤師のみなさん、こんにちは! ドクター・ホンタナの続・薬剤師の本棚、いよいよ最終回になりました。最終回のテーマはジェネリック薬。国の推進施策もあり調剤薬局で薬剤師さんにジェネリック薬を薦められることも増えました。ジェネリック薬とは「特許が切れたため、効き目は同じで価格が安い薬」程度の認識でいましたが、調べてみるとけっこう奥が深いんですね。

ジェネリック薬の歴史

まず読んでおきたいのが、ジェネリック薬のみならず現在へと続く近代製薬業の歴史がよくわかる本「ジェネリック それは新薬と同じなのか 」です。

20世紀になると化学・工学の発達によって工業的に合成された薬剤が治療薬として使われるようになりました。薬剤は化合物としての構造名と一般名と商標名があるのですが最初から命名ルールがあるわけではありません。例えばバイエル社の解熱鎮痛剤のアセチルサリチル酸(一般名)はアスピリンという商標名で呼ばれるようになり、いつのまにかアスピリンが一般名になる・・・というような曖昧な時代もありました。
20世紀半ばくらいから曖昧さを排除するための国際的な取り決めを作ろうという動きがありましたが、国や薬剤メーカーの利益など複雑にからんでまとまらない状態でした。当時は、別の会社が同等薬を作ることに経済的合理性がなく、まだジェネリック薬という概念はありませんでしたが、新薬が増えてくる第二次世界大戦前後から薬剤の特許という概念が確立してきます。

1960年代に入ると、そうした薬剤の特許が切れる時代が到来し、一般名は同じですが先発薬とは違う商標名のジェネリック薬が登場してきました。ジェネリックとは一般名という意味です。ジェネリック薬の主成分は先発薬と同じですが剤型や固めるための基材などはバラバラで価格は開発コストがかからない分安いのが特徴です。

ジェネリック薬が登場したころは先発薬との同等性についてさまざまな議論がありました。先発薬企業は当然、同等性の無さを、ジェネリック薬企業は同等性を証明しようとし、双方さまざまなロビー活動あり権謀術数ありの時代でした。また当時はマフィアも絡んだ偽造薬もあったので、それとリンクしたアンチジェネリック・キャンペーンもありました。

大きな転換点になったのはレーガノミクスの時代1984年に制定された「ハッチ―ワクスマン法」(薬価競争及び特許期間回復法)です。この法律でジェネリック企業には簡略申請でジェネリック医薬品の市場を拡大する道がひらかれると同時に、先発薬企業には特許期間延長(17年から20年に)によって新薬市場を保護するということになりました。先発品企業と後発品企業それぞれに利益を与えてバランスを取り、全体として米国の医薬品産業の発展を促進しようとするものです。

このハッチ―ワックスマン法以来、ジェネリック薬の承認に必須要件であった治験データが不要となったので、1984年以後ジェネリックメーカーは莫大な治験経費を投ずることなくジェネリック医薬品を安価で市場に送りだすことができるようになりました。このジェネリック医薬品の簡略承認方式が、日本を含めこの後の世界標準となったのです。

その後、ジェネリック薬のシェアが伸びてきたアメリカでは20世紀末からは薬剤給付管理(Pharmacy Benefit Management =PBM)機関が登場しました。これは医療機関や保険会社という薬剤消費サイドと製薬業界の間を仲介し、ジェネリック薬の価格交渉などを通して薬剤価格の最適化をはかる(もちろん手数料を取る)という営利組織なのですが、いまでは次第に大きな勢力となりつつあります。

21世紀になりジェネリック製薬会社もグローバル化してブラジル・インドと軸足を移すと、それらの国での品質管理の杜撰さや公的規制の違いもあって再び薬剤としての「同等性の危機」が叫ばれているのが現在です。そうはいってもHIVHCVの治療薬など、合法・非合法あわせてインドの薬剤が途上国の医療にとっては欠かせないものになっているというのもまた事実なのです。

ジェネリック薬企業のビジネスモデルは先発薬の特許切れのタイミングでジェネリック薬を出すことでしたが、20世紀末までに開発された多くの薬剤特許は2015年頃には切れたため、いわゆるジェネリック・バブルは終わるという見方もあります。そこから時代は抗体医薬などの高分子薬の時代になり、その後発薬はバイオシミラーと呼ばれます。そしてそこにまた新たな「同等性の危機」が出現しつつ現在に至ります。

多くのプレーヤーがいてわかりにくい製薬業の世界ですが、本書はジェネリック薬だけでなく近代製薬業の発展の歴史を知るうえでも必読書です。

ジェネリック vs. ブロックバスター

新薬開発とジェネリック薬の複雑な関係を教科書風に解説してくるのが2冊目「ジェネリック vs. ブロックバスター 」です。ブロックバスターとジェネリックの関係や特許をめぐる先発製薬会社とジェネリック製薬会社の熾烈な駆け引きがすっきり理解できる一冊です。

この本によれば、新薬の研究開始から製品として成功する確率は3万分の1、そこまでの期間は7~17年、開発コストは300~1000億円。1000億円かけてハズレもあるわけで、まさに創薬はハイリスク・ハイリターン。しかし、当たればどうなるか・・・例えば2015年の日本国内売上、上位4製品(ハーボニー、アバスチン、プラビックス、ソバルディ)はいずれも国内年間売上が1000億円以上です。製造原価は価格の20%程度なので当たれば1品目で日本だけで800億円の利益を生むことになります。当たった新薬をブロックバスターと呼ぶのはご存じのとおりです。もちろん、こうした利益で次の新薬開発に乗り出したり、有望なベンチャー企業を買収したりするわけですから、あながち暴利・・・とも言えません。

新薬の特許は20年です。20年経つと、他の製薬会社がジェネリック薬を製造販売できる。ジェネリック薬は前述のハッチ―ワックスマン法以降は、簡略に薬事承認を得られるようになったため開発期間は3~5年、開発コストは1億円程度で済みます。薬価は先発医薬品の50%程度と定められています。

ジェネリックに対抗して、先発製薬会社は効能を追加したり(用途特許)合剤化したり(配合剤特許)して特許期間を伸ばすことができますがそれでも+5年までです。そこで先発製薬会社は子会社形式などを取り製造特許使用を許諾したいわゆるオーソライズド・ジェネリック薬でジェネリック製薬会社対抗する・・など利益を最大化するためにさまざまな駆け引きがくりひろげられるのです。

まとめ

処方薬全体に占めるジェネリック薬の比率はアメリカが92%、欧州諸国の70~80%であるのに比べ日本は20~30ポイント低いんですね。そこで2017年から政府の掛け声でジェネリックの比率目標80%を設定し、ジェネリック比率によって医師の処方料や薬局の調剤料を変える作戦にでました。医師はいわゆる商標名ではなく成分名処方をし、薬局で患者(=消費者)が先発薬にするのかジェネリック薬にするのかを選ぶというパターンが増えています。

調剤薬局ジェネリック薬を勧められるのはそういう仕組みからなのですが、患者さんに選ぶだけの知識があるはずもなく、薬剤師さんもそのやり取りに微妙なものを感じているのではないでしょうか。

一方で、ジェネリック薬を売っている側にも、胸をはって先発品と同じと言えるかというとそうでもない出来事が増えています。2020年にはジェネリック薬の製造過程で他の薬剤が混入し死者が出るという事件がありました。また2021年になって大手のジェネリック薬メーカーが長年の製造不正で営業停止になったりするなど、さまざまな問題が発生しています。

問題解決、つまり価格とクオリティのコントロールのためにはアメリカにおける薬剤給付管理(PBM)機関にあたる機関が日本にも求められているとも言えます。日本のジェネリック薬産業も大きな変化を迎えつつあるのです。

さて、「薬剤師の本棚」・「続・薬剤師の本棚」を担当させていただいて、薬剤師さんが読むという観点から本を選ぶということを通して、私自身もずいぶん視野が広がりました。長い間ありがとうございました。

新型コロナウイルス感染症の第3波・第4波と不安な日々は続きますが、100年前のスペイン風邪は約2年で自然終息しました。われわれも粛々と感染対策を続けながらアフターコロナのニューノーマルに向けて学び続けていきましょう。

感染症社会 アフターコロナの生政治

 論点と違うところで、日本のコロナ対策に納得してしまった!?

生政治(せい・せいじ=Biopolitics)とはミシェル・フーコーが作った概念。本来、立法と行政と司法という枠組みの中で行われるべき政治が、ある種の危機の中で、そうした枠組みをはずれて、国民を個々の人格としてではなく、生命の集合体として扱い、効率的な管理の対象として従属させようとすること。

これが極端になると個人よりも集合体としての利益追求ということになり、ファシズム共産主義にもつながる。

こでBiopoliticsのカウンターパートとしてBiomedicineを持ち出すと、医学系のことだけに使う用語かと誤解をうみそうなのだが決してそうではない。ただし、現下の重大事であるCOVID-19に関して言えば、Biopolitics VS Biomedicineはある程度なりたつ話なので、医師でもある著者もこの本ではその路線で書いている。

つまり、個々の患者の治療が生物医学的(Biomedicine)であることに対して、政治が社会の規範、倫理を介して集団としての国民の健康問題に介入することはBiopoliticsと考えればいいだろう。COVID-19で考えれば、コロナ病床で実際に行われているのがBiomedicineであり、政府や専門家会議が感染者データなどを基にして国民生活にある種の超法規的な制限を加えている現状はBiopolitics。

それでもこの1年以上続く出来事をBiopoliticsから捉えてみて初めて納得できることは多い。

COVID-19に対して蔓延を防ぐために人流の抑制など公衆衛生的な手法(=非製薬的介入 NPI )が延々と続けられているわけだが、NPIについては感染症そのものでの死亡者数は大して減らすことはできない(これは日本ではなかなか明言されていない)が、集団免疫までの感染ピークをなだらかにする効果により病院の混乱や医療崩壊を避ける効果はある。一方で、NPIによる負の側面、人流の抑制で生業がなりたたなくなる、個人の権利や自由が冒されるということは当然ある。そこで現実的なBiopoliticsでは、NPIのアクセルとブレーキを巧みにあやつって医療崩壊を防ぎながら集団免疫を目指すということになる。つまりCOVID-19による死亡者数を減らすこと自体はNPIの目的ではないということ。

このNPIのアクセルとブレーキを利かせるために「新規感染者数」や「クラスター追跡」(これもあまり意味はなかった)などを情報として流し、知事がプラカードを振り回し、人々の不安をあおることも必要。

2020年5月に出版された本なのでワクチンの要素などが入っていないが、そこにワクチンという要素が加われば、集団免疫の早期達成によるNPIの早期終了が期待できる。

この全体図が腑に落ちれば、日本政府や自治体のやっていることも強(あなが)ち間違ってはいないわけだ。NPIの目的・方法論を知ることができ納得できた。

本質的には、本書の論点はそういうNPIの解説ではなく、「皆さん、現下のCOVID-19で強化された政府のBiopoliticsに馴致してしまわないようしましょうね」ということだと思うのだが、忘れやすい日本人はそこは大丈夫ではないか・・・とも思う。

シリーズ中国の歴史 ⑤ 「中国」の形成

習近平の中国を作り上げたもの

「シリーズ中国の歴史」最終巻は清から現代まで。このシリーズの前に時代は前後するが「シリーズ中国近現代史 全6巻」が出ているので、この巻では清の最盛期あたりまでの後はぐっと縮んでまさに今の習近平の中国に繋げている。というのも現代中国領は清の最大版図が基礎になっているから。

ヌルハチホンタイジが建てた「清」。日本に置き換えて考えれば、アイヌが政権奪ったようなもの。なぜかこういう漢人以外の王朝のほうがうまくいくように思える。というよりは、王朝かわれど漢人社会はほとんど変わらないということか。いわゆる官と民がばらばらなのが今に続く中国の特徴。

「地方実地の実情に通じない中央が、くりかえし一方的に権力を行使し、画一的な政策を強行して、各地に多大な混乱と弊害を招いていた」・・・と、ここだけ読めばまるで毛沢東の時代だが、明代末期のこと。そこに満州族がきて、あまり地方実地に口出しせず漢人社会をうまくコントロール。康熙ー雍正ー乾隆とまともな皇帝が連続したこともあって支配領域も広がる。時代的には始まりも終わりも日本の江戸時代の50年ほど後、なので終わりは帝国主義の近代にかかってしまう。

帝国主義や日本の侵略への対抗が国としての統一感を作りあげ、内モンゴルチベットも領土化され現在にいたる。中国=国の真ん中あたり程度の意味だったのが、広大な領土そのものが「中国」ということになってしまった。

 

続・私の本棚 (3)スマホに飲酒に医療用麻薬

医師も他人事でない、さまざまな依存症

 還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンドシーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。

 第1回「アスベスト」、第2回「LGBT」に続く、第3回のテーマは「依存症」です。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

 ニコチン依存やアルコール依存に薬物依存といった物質依存に加えて、最近ではスマホ依存にギャンブル依存、セックス依存といった行為依存もクローズアップされてきました。多くは適量・適度を楽しめれば問題にならないのですが、脳の報酬系が麻痺して適量で止められない…そうなれば立派な依存症です。

 今回はその中でも、身近なスマホ依存、ステイホームで増えているアルコール依存、そして医療者として知っておきたいアメリカ医用麻薬依存を読み解いてみたいと思います。

スマホ依存の不安を精神科医が解説する1冊

 文章を手書きしていると、なんだか自分の書く漢字に自信がないなんてことありませんか?私はあります。あわててスマホやPCで漢字を確認することも。昔、カーナビが普及して道順を覚えなくなったときの感じと同じですね。

 途中のプロセスなんて考えもせず、ナビの指示通りにドライブするだけで目的地に着く。最初(数十年前)は違和感があったけれど、今はもうタクシー運転手もカーナビ頼りのことが多いです。

 スマホでも同じ現象が起こっています。それも運転のような特定の作業ではなく、字を書いたり、計算をしたり、記憶したり、そんな人間の知的で基本的な作業が損なわれているらしいです。

 ならば、物心ついた時からスマホがあったスマホ・ネイティブの子どもたちはどうなる、漢字が書けなくなるのではないか。そんなスマホに対する漠然とした不安を、スウェーデン精神科医が精神医学・脳科学の研究データや進化論を駆使して解説してくれる本、そのタイトルはズバリ「スマホ脳」。この本は売れているみたいですね。

 進化論的に言えば、人間は本質的に飢餓や外敵を避けて生き延びるように作られている。つまり、摂食することや、めくるめく周辺状況の変化をチェックすることで脳内の報酬系システムが作動し、ドーパミンやエンドルフィンが出て快感を得る――それが現代社会においては過剰摂食が肥満につながり、情報監視行為がスマホ依存につながるという進化論的理屈ですね――なんでも進化論を持ち出すのが流行でもあります。

 一方、人類の知恵は定住し安定した生活の中で、周辺環境に左右されず集中して考えたり学んだりすることで作られてきたのです。もちろん集中することで産み出された発見に対する喜びもあるにはありますよね。

 ところがやはり、より原始的な「めくるめく周辺状況の変化をチェックする」ほうが脳の喜びは大きいらしく、集中して学ぶ喜びより、スマホに依存してあふれる情報の海をただようことを選んでしまう。

 当然、集中力はなくなる。それでも作業記憶はできるが、それを固定化して長期記憶として脳に定着させることはできなくなる。スマホで何か調べても、写真を撮っても記憶に残らない…確かにそうですね。さらに睡眠への悪影響や、SNSによるストレスで心を病むケースも増えてくる(これは日本だけでなくスウェーデン含め世界中同じらしい)。

 で、どうしたらいいのか…スマホをできるだけ遠ざけるのが第一ですが、現実的ではありません。著者がすすめる、できそうな対抗策としては「運動」。適度な運動は知能的処理速度を回復させるらしいです。まあ、スマホを置いてウォーキングやジョギングをしましょうということですね。

 スマホ依存に進化論を持ち出すのは、私はちょっと屁理屈っぽいと思います。漢字やスペルを覚えないことはそのとおりかもしれませんが、スマホ依存の根本原因は他の依存症とも共通する「現代人の退屈」にあるのではないでしょうか。現代社会の退屈を安易に埋めてくれるのがスマホだったというシンプルな考えのほうが正しいようにも思えます。

ステイホームで増えるアルコール依存

 テレワークやステイホームのせいもあって、家で飲酒する機会が増えていますよね。ゴミ出しの日、ゴミ集積場に大量の缶酎ハイや缶ビールの空き缶を詰めた袋を見ることが増えました。夜のテレビもそういったアルコールのCMばかりです。知らない間にアルコール依存が増えているのではないでしょうか。

 もともと飲酒に寛容な日本社会、「酒は百薬の長で適量のアルコールはむしろ体にいい」という考えがあります。ところが数年前、アルコール摂取と寿命の関係について大規模試験の結果が発表されました。それによれば、明らかにアルコールは寿命にとって「百害あって一利なし」。一定量以上では確実に寿命の短縮につながるのです。

 40歳時点でのアルコール摂取量と平均余命の関係は、一週間でのアルコール摂取量100グラムまでを標準グループとしたとき、以下のようになります。

 Aグループ:週100~200グラムで6カ月の余命短縮
 Bグループ:週200~350グラムで1~2年の余命短縮
 Cグループ:週350グラム以上で4~5年の余命短縮

 「純アルコール重量=お酒の量(ml)×度数(%/100)×0.8(エタノールの比重)」ですので、
 ・ビール1缶(5%で350ml)=14g
 ・酎ハイ1缶(8%・500ml)=32g
 ・日本酒1合(15%・180ml)=22g
 ・ワイン1本(12%・750ml)=72g
 となります。ちなみに私は週100gくらいで、ぎりぎり標準グループです。

 みなさんはどうですか?まずは、自分の飲酒量をアルコール重量換算で計算してみてください。B、Cグループであればアルコール依存度はおそらくかなり高いはず、そんな人はぜひ次に紹介する本を読んでみてください。

アルコール依存の圧倒的なリアリティを漫画で

 今回最もオススメの本が、マンガ「だらしない夫じゃなくて依存症でした」(三森みさ)です。まさに、缶酎ハイのゴミ袋が冒頭近くに出てくるリアリティ!

 この本、マンガとはいえ、厚労省の依存症啓発事業の中で描かれ始めただけに、随所に圧倒的リアリティがあり、それに引き込まれて一気に最後まで読んでしまいます。

 アルコール依存だけでなく薬物依存やギャンブル依存の既往者も登場人物としてうまく取り入れながら、依存症治療の難しさ、そしてさらに周囲が、当人が、どう立ち向かっていくべきなのかが描かれています。

 当然、そこには作者の三森さんの経験も盛り込まれており、その経験談そのものも最終章(番外編)におさめられています。それゆえのリアリティであり、これがアルコール依存の現実であると二段仕掛けで腑に落ちるというわけです。

 依存症が脳の病気であるという認識(報酬系の脳回路の話もきちんと出てきます)、保健所など適切な機関への相談の仕方(ハードルをどう乗り越えるか)、自助グループの実際、スリップ(つい飲んでしまった!)への対応などなど…これらは文章で書かれたら、これほどすっきり頭にはいってこなかったでしょう。

 マンガは偉大です。ストロング系飲料(9%など高アルコール飲料)にはまっているなら、あるいはそんな家族がいるなら、取り返しがつかなくなる(失職・離婚・肝硬変・自殺などなど)前に読んでみることをおすすめします。

 依存症からの回復への道しるべというだけではなく、依存とは「心の穴」を埋める行為であることまで描かれていることもすばらしい。そうなると、ゲーム依存やスマホ依存も含めて依存症の根底にある「物質的には満たされたがゆえに現代人が生きがいを感じにくい=心に穴を持つ」というところまでつながっていきそうです。

鎮痛剤で依存症や過剰摂取死――アメリカの医用麻薬汚染

 最後に、オキシコンチンによるアメリカの医用麻薬汚染の現状を「DOPE SICK アメリカを蝕むオピオイド危機」という本で読み解いてみましょう。タイトルのDOPE SICKとは禁断症状という意味です。

 オキシコンチン(一般名オキシコドン)はアヘン系アルカロイドで、まさに麻薬です。ところが1990年頃から医療界にあった「痛みに対する治療をもっときちんとやろう!」という機運に合わせるように、溶けにくい基材で固めてゆっくりとしか吸収されないという工夫を施したオキシコンチンが鎮痛薬として認可・発売されました。

 薬を発売した薬品会社、パデュー・ファーマ社はそれまでも麻薬系の鎮痛薬(MSコンチンは日本でもおなじみです)が得意分野。これまで麻薬系の鎮痛剤は、依存性の問題から投与対象が、がんの末期患者などに限定されていましたが、パデュー・ファーマ社はオキシコドンを徐放錠とすることで依存性をなくしたというデータを根拠に(そのデータはかなりいい加減なものであったことは裁判などで明らかになりました)効能追加の認可申請を行いました。

 ロビーストなど政治的駆け引きもあったのでしょうが、ついには麻薬が普通の鎮痛剤として処方されるという事態が、21世紀を迎えようとするアメリカで起こりました。手術後の痛みや整形外科的な痛みにオキシコンチンが日常的に投与されるようになったのです。

 パデュー・ファーマ社はオキシコンチンを処方してくれる医師に接待攻勢をかけ、医師や歯科医師によりオキシコンチンが大量に処方されたのです。最近の出来事とは思えない、いやこれがまさに今のアメリカなのかも…。

 当然2010年頃から過剰摂取死や依存症が大問題になり、大きな裁判がいくつも起こされ、多額の和解金・賠償金がニュースになることも増えてきましたが、オキシコンチンであげた収益に比べれば和解金・賠償金は微々たるものらしいです。

 歌手のプリンスの急死や、大リーグ・エンジェルスの大谷翔平選手の同僚のピッチャーの急死にも、オキシコンチンを含む麻薬系鎮痛剤の摂取が関わっていると言われています。日本でもトヨタ初の女性役員として赴任してきた外国人女性が、オキシコンチンを持ち込もうとして警視庁に逮捕されるという事件がありました。オキシコンチンが家庭の常備薬のようになっているというアメリカのすごい状況がその背景にあるわけです。

日本もあぶない?還暦過ぎ医師が願うのは…

 DOPE SICKの197ページをご紹介します。

 「若者たちは、朝一番でアデロール(ADHDの薬で精神刺激作用あり)を飲み、午後にはスポーツによる怪我の痛み用にオピオイドオキシコンチン)を飲み、夜には眠るのを助けるためにザナックス(ベンゾ系睡眠導入剤)を、何の躊躇もなく服用していた。その多くは医師によって処方された薬だった。」

 …どうですか、そんなアメリカの大学生の一日。こんなことが21世紀になってのアメリカで現実問題として起こっていたのです。今のアメリカは明日の日本かもしれない。いや、アメリカの巷にあふれるオキシコンチンは、日本にも大量に持ち込まれている可能性も大きいと思います。

 この本を読んで、芸能人の急死のニュースを聞くと「過剰摂取なんじゃないの?」と思うようになってしまいました。医師と薬屋が麻薬をばらまく、なんともタガのはずれた社会がすぐそこまで来ているのかも…。

 なんて他人事みたいなことを言っていたら、なんとつい最近、2020年10月29日にオキシコンチンTR(徐放錠)に「がん以外の慢性疼痛」の適応追加が承認されたことを知り、驚きました。

 日本の医療者を信頼して…ということなのでしょうが、「DOPE SICK」を読んだ後では、まさにアメリカの後追いをしているよう思えて心配です。今のアメリカは、明日の日本かもしれない。

 通達によれば、依存や不正使用がおこらないように、医師は製造販売業者が提供するeラーニングを受講し、受講修了すると確認書が発行されることになっています。さらに薬剤師は患者から麻薬処方箋とともに確認書の提示を受けた上で調剤を行い、確認書の内容を説明の上、薬局で保管する…というのですが、この仕組みでうまくいくのかどうかは歴史が証明するのでしょうね。

 アメリカでは依存症が顕在化・事件化するのに10年ほどかかりました。10年後の日本が今のアメリカのような事態になっていないことを願わずにはいられません。

まとめと次回予告

 コロナ騒ぎも2年目に入りました。私は、ほぼ毎日ウォーキングしています。その間スマホはポケットの中にいれ音楽やオーディオ・ブックを聴いています。理屈はどうあれ、脳だけでなくサルコペニアの予防にもぜひ運動を!そしてアルコールは控えめに。

 さて次回のテーマは「COVID-19」です。とはいっても、診断や治療やワクチンの話ではなく、社会と感染症あるいはアフターコロナの社会がどうなるのといったテーマで「ドキュメント 感染症利権」・「感染症社会 アフターコロナの社会学」・「若者たちのニューノーマル Z世代、コロナ禍を生きる」の3冊を読み解いてみたいと思います。

 次回もご期待ください。

江之浦奇譚

わたしはわたしの奇譚を編みたい

杉本博司氏が小田原から真鶴にかけての海を見下ろす丘陵に広大な土地を買い、四半世紀をかけて彼の美的感覚や数寄趣味にマッチするさまざまのモノ(大は建築物から小は花入れまで)を配置していく過程を記録したもの。こうして好きなことにお金をかけられるのは幸せ。

しかし、方丈記や最近はやりの断捨離とは逆方向の生き方でもあり、断捨離系庶民はいささか嫉妬してしまって、「オレにはオレのワビサビの人生があるさ」と反応してしまいます。

まあ、人生をかけてやってきたこと、杉本氏にとっては芸術的生き方、を人生の暮れ方まで追求することの幸福感は伝わってきます。故に、そこの部分は教訓として、誰しも「オレはオレの奇譚を作ろう」と思うべきでしょうね。