El librero la Fontana・ホンタナ氏の本棚

人生の最後を一番美しく過ごすのは、いつの日か、田舎、といっても町からあまり離れていないところに隠居し、今までに愛読した何冊かの本を、もう一度、書き込みなどしながら読み返すことだ。           (アンドレ・モーロワ「私の生活技術」より)

1000分くらいでわかるシェイクスピアBest20(2)

 シェイクスピアは本来、観るもの・聴くもの

というわけで、AudioBookでシェイクスピアを聴いてみることに。ウォーキングしながら聴くのでのんびりとした話ではあるが、聴くたびに順次追記していきたい。

ベニスの商人(20210517)

現代の商習慣の常識はむしろシャイロック流であり、やや能天気なイタリア紳士や淑女などいわゆるキリスト者の「ルールよりも義侠心・頓智」という態度をこそ揶揄したかったのではないかと。

「おれはユダヤ人だ。ユダヤ人には目がないかよ、ユダヤ人には手がないかよ、五臓六腑、四肢五体がないかよ、感覚、感情、情熱、それもないかよ。キリスト教徒とおなじものを食ってるんだよ、おなじ武器で負傷もすれば、おなじ病気にもかかってる。おなじ治療を受けて、治しているじゃないか、おなじ冬の寒さや、夏の暑さを感じないとでもいうのかい? ユダヤ人は針で刺されても血が出ないとでも? くすぐられても笑わないとでも? 毒を飲まされても死なないとでも? で、あんたらにひどい目に遭わされても、復讐しちゃいけないとでもいうのかい?」

 テンペスト 嵐 (20210602)

あまり急な展開もなく、良いことづくめの大団円で面白くない。シェイクスピアの作品でも晩期になるとこんな感じらしい。面白いのは、やっぱり悲劇や悲劇含みの史劇かな。

「そうとも、この地上のありとあらゆるものはやがて融け去り、あの実体のない仮面劇がはかなく消えていったように、あとにはひとすじの雲も残らない。我々は夢と同じ糸で織り上げられている。ささやかな一生をしめくくるのは眠りなのだ。」

③お気に召すまま(20210608)

男装の女性が出てくるものが多いが、シェイクスピア時代の舞台は女性禁止でそもそも女性役は若い男性がやっていたから(「恋に落ちたシェイクスピア」を見ればわかる)。兄弟間の権力闘争・嫉妬で事件が起こり、改心によって一件落着というパターン。

「世界は一つの舞台だ。 そしてすべての人間は男も女も役者にすぎない」

じゃじゃ馬ならし(20210701)

性差別的?それも織り込み済み?

「只(ただ)、ねえ、旦那(だんな)さま、その、美徳とか、道徳の修行とかいうことあ結構とは存じますが、どうか、ま、ストイックだの、丸太棒(ストツク)だのには成りたくないものでございます」

ジュリアス・シーザー(20210717)

共和制と君主制というわけで、アメリカと中国的な・・・。ポピュリズムをコントロールするには、弁舌爽やかでなければならない。

「Et tu Brute?」(ブルータスおまえもか)

 

ドクター・ホンタナの薬剤師の本棚(11)

ワクチンあれこれ

f:id:yasq:20210111170401p:plain

新型コロナ、ワクチン接種始まりました

薬剤師のみなさん、こんにちは!ドクター・ホンタナの続・薬剤師の本棚、今回のテーマは「ワクチン」です。
新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種が始まりましたね。薬剤師さんも接種の現場で活躍を期待されているのではないでしょうか。

まずは書店にあふれる「新型コロナ」本の中から一冊。冷静な分析力が感じられワクチンについても信頼に足ると思えたのが、この「新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実」です。ちょっと怪しげなタイトルですが、それからは想像もつかないほどの良書でした。ワシントンDCの米国立研究機関で博士研究員をしている峰宗太郎先生に、日経BPの山中浩之氏がネット越しにインタビューを基にしたものなのですが、その形式が新型コロナやその報道に対する一般人の疑問に理解しやすい道筋を示してくれています。

今回世界中で接種されようとしているのは人類史上初の核酸ワクチンの実用化であり、かなり最先端のものなんですね。緊急事態だということで最先端技術の世界的な社会実験が行われているようなもので、本来必要とされるプロセスをすっ飛ばしての接種であることを理解して、接種が先行している欧米・イスラエルで効果や副反応の発生を見る必要があります。欧米のように死者数が多ければワクチン接種のリスクをとることは合理的と言えますが、日本の死者数レベルであれば先行国の結果を見ながら考える、あるいは旧来型の不活化ワクチンの開発を待ってもいいのではないかという話も納得です。

この本がユニークなのは最後のパートです。新型コロナに限定せず、この情報化社会における情報リテラシー、つまりどうやって情報を集め、吟味し、咀嚼し、自分の決断や行動につなげていくのかという深い話です。医学知識だけではなく、金融商品や保険商品、政治とのかかわり方も含めて、玉石混交の情報の渦のなかからどういうふうに情報を選び取るのか、どんな情報なら信じていいのかを真剣に考える、そのときのわれわれ自身の思考のありかたについての議論です。結局、新型コロナで多くの言説が飛び交う中、自分の頭で考えないといつまでたっても安心はできない・・・それは情報があふれる現代に生きるわれわれが身に着けざるを得ない態度だというわけです。

そして、驚くべきことにこの本の最後に「この本を読んだ人が本を閉じてまず最初に考えるべきこと」として・・・「本は読んだけど峰とY(山本)さんから聞いたことを、本当に丸呑みにしていいの?」という疑問をもつべき・・・うーん、参りました。知的な推理小説を読んだかのような読後感。新書とは思えない充実感でした。

ワクチン小説といえばこれ!

ワクチンを扱ったフィクションってあるのかなと思って調べてみると篠田節子さんの「夏の災厄」が評判よさそうです。場所の設定は西多摩のあたり、夜間救急診療所や保健所が最初の舞台となります。医療者と保健所のお役所仕事のせめぎあいなど冒頭からCOVID-19の日本を思わせる展開。日本脳炎をより悪性化したウイルス感染症がじわじわと拡大していきます。

少しネタバレですがこの新しい脳炎ウイルスは、じつは日本で開発していたバイオ・ワクチン(分子生物学的手法でウイルス抗原タンパクを無害のウイルスに組み込んで接種するもの)が逆に高い病原性を持ってしまったものだったんです。これってCOVID-19でもありえる話ですよね(武漢研究所説)。

感染の拡大とともに街がすさんでいく様子や、昔のニュータウンが時間経過の中でさまざまな機能不全を起こしていくことなどをからめながら、主人公の保健所員がウイルスの出所を解明するために診療所のナースと大活躍。

反ワクチン運動やワクチンの認可にかかわる厚労省との折衝も後半の重要な要素となります。COVID-19でもよく聞くワクチンの実用化まで1年以上かかるのは、そういうお役所的な事情があるのか・・とわかります。

オチまで書いてしまってはだめなので、以下Kindleのメモ機能で本書から抜書きした「感染症あるある」をいくつか紹介しましょう。5年前の本とは思えませんね。

  • この手のごまかしが、統計や検査結果報告書にはまかり通る。
  • 情報の集積のない新しい事態に、機動的に対処する術を官庁は持っていない。
  • 病気で死ぬのは市民の責任だが、副反応で死んだら行政の責任なんだ。
  • 食材のケータリングサービスなどの宅配業が盛んになった。

 

反ワクチン運動についても

「世界の反ワクチン運動」。COVID-19パンデミックで世間はすっかり「ワクチン欲しい」状態になっていますが、反ワクチン運動は今どうなっているのでしょう。日本では子宮頸がんのHPVワクチンに対する反ワクチン運動が記憶に新しい―というよりも現在進行形ですが、世界的に見れば「反ワクチン」は種痘の時代から連綿と続いているんです。本書の原著は2010年初版ですがHPVワクチンの騒動を受けて2018年に日本語版が出版されました。世界の反ワクチン運動を学ぶならこの本がおすすめです。

アメリカでの反ワクチン運動は次から次へと起こるのですが、エポック・メーキングなのは1970年代のDPTワクチンと2000年代のMMRワクチン。本書を読むと事件の基本的な構造はDPTでもMMRでも、日本のHPVでもほとんど同じだということがわかり、人間には根源的にワクチンへの怖れがあるのでないかと考えさせられます。

DPT(3種混合:ジフテリア破傷風・百日咳)を例にとれば、何万人の乳児に接種すればが、接種とは無関係に一定の確率で突然死や脳障害が発生することは自明のこと。しかし実際にわが子がそうした悲劇に見舞われれば、その悲劇の原因を外に求めたいもの。ほとんどの乳児がワクチンを接種されているのですから、ワクチン接種と発病の時間的連続を因果と混同し、ワクチン接種が突然死や脳傷害の原因だと思い込む(思い込みたい)ということが起こるのです。DTPのときには「DPT・ワクチン・ルーレット」というテレビのドキュメンタリーが火をつけました。メディアの功名心もそこにはありました。メディアが火をつけた結果、大きな社会問題となり医療訴訟が多発します。被害者は善、国・ワクチンメーカーは悪というわかりやすい図式は陪審員制度のもとでは多額の賠償金支払いという結果を生み出します。挙句の果てに小児科医がワクチンの接種を控えたことにより百日咳での死亡者数が急増しました。

MMR(麻疹・おたふくかぜ・風疹)ワクチンで自閉症が起こるという今に続く反ワクチン運動はDPTの20年後1998年に勃発。MMRワクチンと自閉症には何の関連もありませんが、ちょうどDSM-Vで自閉症と診断される幼児が増えてきていたことやMMRワクチン接種年齢と自閉症が判明する年齢が近いなどの偶然が重なり、自閉症児の親が自閉症はワクチンの副作用だと言い始めそれを後押しするような論文を書く医師も出現しました。結局はその論文は患者団体有利にするために医師による捏造だとわかりその医師は免許をはく奪されました。これで一件落着・・と思いきやこの医師は陰謀の犠牲者として祭り上げられ、今でも反ワクチン運動のシンボル的人物となっています(ウェークフィールド事件)。そして、この運動はおりしもネットやSNSの時代と重なったためハリウッドスター(ジム・キャリーロバート・デ・ニーロなどが活動家として有名)や政治家がブログやSNSでシロウト論争を繰り広げる事態に。騒動は今も落ち着いていません。

本書によれば、反ワクチン運動を抑え込むには感染症の被害者や家族によるワクチンを推進する運動が効果的らしいです。日本の反HPVワクチンに置き換えて考えると子宮がんで手術をした女優さんなどがそういう運動をすることになるのかな。COVID-19で反ワクチン派の意識がどうかわるのか、要注目です。

 

まとめ

三冊のワクチン本を紹介しました。これを書いている段階で日本ではファイザー社の核酸ワクチン(mRNAワクチン)が医療従事者に優先投与されています。感染拡大から1年というスピードでワクチンが開発されたことは驚きでもあります。それはSARSやMERSなどのコロナウイルスに対するワクチン開発の努力が続けられていたということなのでしょう。

ファイザーのワクチンは具体的にはウイルスのスパイク(細胞に付着侵入する部分)タンパクに相当する約3000配列のmRNAを合成し修飾を加え全体では4300塩基の長さとしたものです。これを脂質ナノ粒子膜で包み液状化して筋肉注射することで筋細胞に疑似感染を起こしmRNAからスパイクタンパクが作られ、それに対して生体の免疫反応が起こります。

文字にすると簡単そうですが実現には数多くのブレークスルーが必要だったようです。まさに最先端の創薬ですね。そのブレークスルーをわかりやすく解説されている日本RNA学会の記事を紹介しておきます。

https://www.rnaj.org/component/k2/item/855-iizasa-2 

ワクチン接種でコロナ禍がどうなっていくのでしょうか。期待したいです。
それではまた、次回。

生物はなぜ死ぬのか

 利己的に生まれ、公共的に(利他的に)死ぬべし

生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)

生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)

 

あまり難しくなく読めて、「おわりに」に書かれている「生物は利己的に偶然生まれ、公共的に死んでいくのです」という一文が、すーっと腑に落ちる寿命論の良書。

世界の始まりの混沌の中から偶然生まれた、RNAやDNAそしてウイルス、細菌、単細胞生物、昆虫、マウス、人間と順繰りに誕生と死のメカニズムを解き明かす。

根本にあるのは、有利なものは生き残り、そうでないものは死んで分解産物が有利なものの増殖に使われる、そして生き残った有利なものも、その先は常に多様化するために遺伝子の改変がおこり、その結果またさらに有利なものが生き残る・・という多様化と選択の繰り返し、という進化の大原則。

多様化を得るメカニズムは生物によってことなるが、有性生殖においては精子卵子が生まれるときの減数分裂の際におこる相同組み換えがメイン。あなたを作った父親の精子の遺伝子には父方の祖父母の遺伝子が、母親の卵子の遺伝子には母方の祖父母の遺伝子があちこち組み換えられて入っている。その組み換えられ方は精子一匹一匹、卵子一個一個でことなる。祖父と祖母の遺伝子が父の精子、あるいは母の卵子の中で手をつないでいる・・・これってアタマがくらくらするほどすごいメカニズムだ。

一方で、われわれ自身、つまり個体としての私の中では、細胞の老化を防ごうとすればがん化のリスクが高まるというトレードオフがあり、55歳をすぎると老化に舵を切るようにできている。そういったバランスの中で寿命が決まっているということ。ところが情緒が発達したヒトは長寿をもとめてしまうという矛盾の中にある。

・・・というようなことがすらすらとわかり、いずれは公共的に死んでいかねばならない我が身であると思い知るのでした。

 

あなたもきっと依存症

ちょっと総花的な依存症入門書 

文系・社会学系の立場から依存症にアプローチして書かれた入門書。

三部構成で第一部は快感回路や脳内報酬系など依存症の起こる脳内メカニズムが説明され、社会が依存症者に対するときの4つの見方あたりは、理解の助けになる。

  1. モラルモデル(刑事司法モデル)・・・犯罪化
  2. 医療モデル(疾病モデル)・・・医療化
  3. スピリチュアルモデル(12ステップモデル)・・・自助療法
  4. 認知行動モデル・・・認知行動療法

第二部は、さまざまな依存症を講義のように網羅的に解説しており、タイトルや帯のセンセーショナルな感じとはちがって、いたって普通の依存症おまとめ、という感は否めない。日本発の覚醒剤依存症が1990年代以降、東南アジアやアメリカ西海岸、オーストラリアで爆発的に増えたというのは本書で知った。

第三部が依存症への対策と治療ということで薬物依存がメイン。日本がモラルモデル主義で薬物依存症者を刑務所に入れることが世界的には異様であること。著者が学んで日本に紹介したマトリックス・モデルという治療プログラムのこと・・・なのだがこのプログラムの中身は紹介されていない。

検索してみると結局松本俊彦先生の話に行きつくので・・・なんだかはぐらかされた感じが強い。臨床のリアルがないので、松本先生の本を読んだ方が良かった。

第1回 依存症は厳罰主義では解決しない | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)

 

続・私の本棚 (2)医師にも身近「LGBT」

医師も他人事ではない――LGBTを意識せざるを得ない時代

 還暦過ぎの元外科医ホンタナが、医学知識のアップデートに役立つ一般向け書籍をセレクトし、テーマごとに同世代の医師に紹介するブックレビューのセカンドシーズン「続私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学」です。

 第1回「アスベスト問題、今読みたい医師推薦3冊」に続く、第2回のテーマは「LGBT」です。(ちなみにファースト・シーズン「私の本棚・還暦すぎたら一般書で最新医学を」はこちら

 ここ10年くらいの間に、LGBTというワードが随分とポピュラーになりました。差別をなくそうという運動が活発になり、一方で差別的発言もあり、さらには差別的発言へのバッシング騒ぎもありました。そのせいで、医師としてはなんとなくあまり関りたくないワードになってしまったのではないでしょうか。

 そもそもLGBTというワード、レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダーの頭文字を連ねて性的マイノリティ全体を象徴しているということなのですが、それ自体がわかりにくいです。

 一方で、社会的認知がすすんだことで医療者が患者さんとしてだけでなく同僚として、そうした性的マイノリティの人たちと接する機会も増えてきています。

 今回は性的マイノリティに関する用語や、治療の現在地がわかる本を選んでみました。

性的マイノリティを知るポイント2つ――性自認性的指向

 最初の本「LGBTとハラスメント」は性的マイノリティとは何なのかを、きわめてわかりやすく解説してくれる一冊です。

 ポイントは「性」について4つの軸で考えるということです。以下がその4つです。

 (1)法律上(出生届上)の性
 (2)性自認(Gender Identity):自分の性をどう認識しているか
 (3)性表現:社会的にどうふるまうか(服装・言葉など)
 (4)性的指向(Sexual Orientation):自分の性愛・恋愛感情がどの性に向かうか

 このうち最も重要なのが、(2)の性自認(GI=Gender Identity)と(4)性的指向(SO=Sexual Orientation)です。

 性自認が法律上の性と同じであればシスジェンダー、逆であればトランスジェンダーとなります。一方、性的指向が法律上の性と同じであればホモセクシュアルで、逆であればヘテロセクシュアルとなります。

 GIとSOは全く別の概念なのだという理解が大切です。

 性的マジョリティとは、シスジェンダーヘテロセクシュアルということになります。性的マイノリティの人々もそれぞれ、例えばレズビアンとゲイは、シスジェンダーホモセクシュアルということになります。レズビアンとゲイは、GIについてはシスなので性自認で悩むということはありません。

 一方、トランスジェンダーは法律上の性と性自認が一致しないのですからその違和感・悩みが深く、性別適合手術を必要とすることもあります。つまり性別適合手術を受けるのはほぼトランスジェンダーの人たちなのだということが理解できます。

 このようにGIとSO(二つ合わせてSOGI【ソジ】という)にわけて考えるとすっきり理解できますよね。

 2020年に、職場におけるパワーハラスメント防止対策について法改正がなされ、「相手の性的指向性自認に関する侮辱的な言動」や「労働者の性的指向性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に曝露すること(アウティング)」はパワハラに該当するとされています。SOGIについてのパワハラということでSOGIハラと呼ぶらしいです。

 LGBTについての社会的認知がすすんできて、とくにトランスジェンダーの人が性別変更手術を受け性別を変更することが増えています。それは急に増えたというのではなく、社会の中で認知されずにいたものが認知されてきた結果と考えられます。

 そして、社会に一定の割合で性的マイノリティが存在することを普通のことだと考えるべき時代になっているのです。SOGIを理解して、SOGIハラをしない・させないということですね。本書後半はたくさんの事例集になっていますので一通り読むと理解がさらに深まります。

LGBTとハラスメント (集英社新書)
 

トランスジェンダー治療のリアル――「性転師」という役割

 性同一性障害の治療とは1冊目で学んだように、主としてトランスジェンダーの人の性別適合手術ということになります。今の日本で性別適合手術をいったいどれくらいの人が、どんな施設で受けているのか知っていますか。

 タイで手術を受けたという話を聞くことも増えました。なぜタイなのでしょう。日本において手術が健康保険適用となりましたが、その影響はどうなのでしょう。

 そんなLGBTに関するさまざまな疑問の多くに答えを出してくれるのが2冊目「性転師」です。タイトルや表紙カバーの印象とは異なり、本書は共同通信社記者がきちんとした取材にもとづいて書いたもので、日本のトランスジェンダー治療の現在地を知るにはベストともいえる本です。

 まず、本書からざっくりとした数字を挙げます。日本における戸籍上の性別の変更者数は年間1000人程度、男性から女性(MtF = Male to Female)と女性から男性(FtM = Female to Male)の比率は1:3です。女性から男性のほうが多いというのは意外な感じがします。

 手術を国内で受けた例は25%で、75%はタイで受けています。国内で受けた例の80~90%はナグモクリニックで受けています。タイで受けた例ではヤンヒー、ガモンの2大病院で70~80%くらいを占めています。まとめますと、日本で性別適合手術をうけて性別変更している人数は毎年、男性から女性が300人、女性から男性が600人です。

 手術場所はナグモクリニックが300人程度、タイの2大病院が600人程度となります。具体的な数字を見て皆さんどう感じますか。毎年10万人に1人は性別変更しているという事実は、予想より多いでしょうか、あるいは少ないでしょうか。

 本書のタイトル「性転師」は著者の造語ですが、日本人がタイで性別適合手術を受ける時に、そのほとんどのプロセスを世話してくれるいわば性転換のアテンド業者のことを意味しています。表紙写真の男性がその草分け的存在であるアクアビューティー社の坂田代表。2002年に会社を立ち上げました。

 本書前半は、こうしたアテンドの主要業者への取材やタイの病院での取材をもとに書かれています。写真も豊富で、特にタイにあるホテルのような病院の立派さは驚くほどです。タイでは1997年の通貨危機をきっかけに医療ツーリズム、その中でも性別適合手術が急速に発展しました。

 日本はというと、LGBTの社会的認知度が高まり戸籍上の性別変更が可能になった一方で、性別変更の必須要件である性別適合手術を実施できる医療機関がなかなか増えてこないという現実があります。

 そのためアテンド業者に仲介してもらい、タイで手術を受ける日本人が急増したのです。技術的にも経験豊富なタイの医師のほうが上手ということももちろんありますが、性別適合手術のニーズの高まりに国内医療機関が応えなかったことと、アテンド業者を含めたタイでの医療体制の充実が現状を生んでいるともいえます。

 トランスジェンダー性別適合手術は、2018年に公的医療保険の適応となりましたが、手術前に必須なホルモン療法が保険適応となっていないというチグハグさもあり、タイ頼みの現状はなかなか変わりそうにありません。COVID-19が長引き、タイに渡航できない状態が続けばどうなっていくのでしょうか。 

性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち

性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち

  • 作者:伊藤 元輝
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: 単行本
 

トランスジェンダーか性分化障害か?――語られにくい医学の分野

 3冊目の本のタイトルは「性感染症」。この本、それほどページ数のない新書にもかかわらず役立つ知識満載でした。

 性感染症だけでなく性分化異常や高齢者の性など、語られにくいプライベートゾーンの医学が実際の診療エピソード満載で語られています。この分野も、いや性という分野だからこそ、時代にあわせて大いに変貌していることに気づかされました。

 今回のテーマに関わってくるのが性分化障害(DSD=Disorders of Sexual Differentiation)です。見た目の性別と染色体上の性別が相違しているDSDの新生児は、毎年200人も生まれているのですね。現場感覚にあふれた患者エピソードが多く、あまり語られない分野なので勉強になります。

 男児・女児として出生届を出して、男児(染色体上は女児)であれば小児期に外性器の発達障害で判明し、女児(染色体上は男児)であれば思春期に月経が起こらず判明することが多いようです。

 親がどうも変だと気づき受診することになるわけですが、その時点までは出生時に判断された性別で生きてきたわけですから、そこから切り替えるのは困難です。これらの人々の一部がトランスジェンダーとして治療を受ける場合もあるようですから、DSDトランスジェンダーの間にも複雑な関係がありそうです。

 本書のタイトルになっている性感染症の分野では、変化をもたらす2つの要素、(1)AV(=アダルト・ビデオ)の影響、(2)インバウンド旅行者の影響には、なるほどと思いました。

 AVに触発されて、オーラルやアナルなどそれまで日本人には一般的ではなかったものが一般化したために、下(シモ)の病気が上に…咽頭痛でカゼかと思ったらクラミジア咽頭炎だったとか、HPVで咽頭がん、などなど。

 アナルで言えば、アメーバ赤痢をもらってしまうケースが実際に起きている。確かに、数年間難治性の潰瘍性大腸炎として治療されていたものが実はアメーバ赤痢だったという例を見たことがあります。

 インバウンドといえば主に中国や東南アジアからの旅行客ですが、日本では制圧されていた性感染症やウイルスがそれらの国から持ち込まれている現実は、冷静に考えてみれば当たり前のことで、コロナ禍にも通じるところがありますね。

 そういう人と接触しないから大丈夫という考えは大間違いで、例えば「接待を伴う飲食店」や「性風俗の店」の従業員を介して感染するということがないとは言えません。

 また、初潮年齢が早く(若く)なっているのに妊娠・出産・授乳の機会が昔に比べれば激減しているため、女性の生涯の月経回数は戦前に比べて10倍にもなっているという事実も言われてみて初めて気づきました。

 これが子宮内膜症の増加をもたらしているわけです。などなど、面白い話がたっぷりですが、ちょっとここには書きにくいことも多いのでぜひとも一読をお薦めします。教科書では得られないリアルな性医学、貴重な一冊です。

性感染症 プライベートゾーンの怖い医学 (角川新書)
 

まとめと次回予告

 還暦前後の医師にとって新しくできた概念を理解することは、どの分野でも簡単ではありません。特にLGBTのような精神科を含め多分野に関わっている概念は大変です。

 今回はLGBTとSOGIの関係を理解したことで、この分野の見通しがよくなったのではないでしょうか。また性別適合手術の実情やDSDとの関係など、まさに「読んでわかるLGBT」をお届けできたのではないかと思います。

 さて、次回のテーマは依存症です。話題の本から、アルコール依存を「だらしない夫じゃなくて依存症でした」、薬物依存を「DOPESICKアメリカを蝕むオピオイド危機」、さらにはスマホ依存を「スマホ脳」から読み解いてみたいと思います。

 次回もご期待ください。

定年後の居場所

 世の中が求めているのはこのユルさ、ヌルさ、俗っぽさね

定年後の居場所 (朝日新書)

定年後の居場所 (朝日新書)

  • 作者:楠木 新
  • 発売日: 2021/05/13
  • メディア: 新書
 

ちょうど世代が合うし、神戸生まれで現在も神戸在住ということで、終の住処を神戸にもとめた者として、読んではみたけどこれまでの彼の著作と同じで、俗っぽくて中身が乏しい。でも世の中が求めているのはこの程度の俗っぽさなんだろうな・・・。

もう定年本とか終活本を読むのはムダなんだということがわかった・・・という意味では収穫。それにしても勢古浩爾(74歳)は元気にしているんだろうか。

1000分くらいでわかるシェイクスピアBest20(1)

 シェイクスピアは本来、観るもの・聴くもの、まずは四大悲劇から

というわけで、AudioBookでシェイクスピアを聴いてみることに。ウォーキングしながら聴くのでのんびりとした話ではあるが、聴くたびに順次追記していきたい。

 

①マクベス(20210524)

王殺しをそそのかした妻があっさりと死んでしまう。すごく梯子をはずされた感あり。魔女といい妻といい、他者の言によって自分の潜在的な願望があぶりだされ焚きつけられ燃え上がり、火が消えるころには自分しかいない。

「明日、また明日、また明日、と時は小刻みな足取りで1日1日を進み、ついには歴史の最後の一瞬へたどり着く。昨日という日は全て愚かな人間が塵と化す死への道を照らして来た。消えろ、消えろ、束の間の灯火!人生は歩き回る影法師、哀れな役者だ、舞台の上で大げさに見栄を切っても出番が終われば消えてしまう。白痴の喋る物語だ、喚き立てる響と怒りは凄まじいが、意味は何一つありはしない」

 ②オセロ(20210525)

人を嫉妬することに不慣れな人物は、自分以外の人間がいかに嫉妬心から行動を起こすのか理解できない。だから、そういった嫉妬深く、かつ合理的でない行動が信じられず驚く。この嫉妬心の有無は明確にある。あることはわかるのだが・・見抜けない。

恐ろしいのは嫉妬です。それは目なじりを緑の炎に燃えあがらせた怪獣だ、人の心を餌食とし、それを苦しめ弄ぶのです。」

③リア王(20210527)

黒澤明「乱」でやや陳腐化された感のある「リア王」。浅慮で癇癪もちのリアが王になれたこと自体が不思議だが、そこは「氏か誉か」ということなのか。結局「氏=家柄」に依拠したものは滅び、「誉=実力」があるものが生き残るが、それが次の「氏」を形成するという繰り返し。この朗読では「乱」と同じくエドマンドがうまく描かれていない。

「生まれ落ちると泣くのはな、この阿呆の檜舞台に引き出されたのが悲しいからだ。」

④ハムレット(20210531)

ハムレットってどこまでも脇が甘い・・・と思ってしまうのは、抜け目のない現代を生きるからか、職業的なものか、そんな自分が少し悲しい。抄訳ゆえかもしれず、分かった気になってはいけないとも言える。

「人の思いは所詮、記憶の奴隷。」「腹に思うても、口にはださぬこと。突飛な考えは実行にうつさぬこと。」